「座る」の意味 



 この一か月は体調が悪く、あまり練習できなかった。先週、今年初めての教室では、体力の低下を実感した。技を続けてできないのだ。

 クリスマスの頃に背中の痛みはおさまったが、その後10日間くらいは寝違えたように首の筋が突っ張り、うつむくことも左右に向くこともできなくなった。エドサリヴァンのように体ごと動かさないと横を向けないのである。

 走圏で体のゆがみがはっきりしてきたところに、十字式で骨格が調整されて、そのせいで寝違えたようになったのかもしれない。ようやく四、五日前から少し動く気になってきて、走圏も少し真剣にできるようになってきた。

 五日の練習初めでは、体力不足を痛感した。一ヶ月間最小限しか練習しなかったため、走圏や掌法を続けて練習するとスタミナがもたない。これから戻していくのが大変だ。

 教室では先生に左右の偏りを指摘された。これは以前から言われているのだが、とくに右の龍形を行ったとき、腰が左側に逃げる癖があるようだ。自分ではまっすぐにしているつもりなのだが、そうではないようだ。確かに姿勢を直してもらうと、左足にきちんと体重が落ち、いわゆる「座っている」感じがする。

 座るというのは中国の武術家がよく使う表現で、しゃがむのではなく、自分の足に腰掛けているような状態である。うまく姿勢をとると、体重が足の裏に気持ちよく抜けていく。腰が逃げているとこの感覚がないのだ。

 しかし、自分の姿勢がゆがんでいることも、どうやれば正しい姿勢をとれるのかも、まだ感覚がつかめないで困っている。走圏は歩き始めたら腰をむやみに動かさず、安定して歩かなければいけない。だから姿勢を調整したり、様子を見たりはできない。そのあたりが練習のむずかしいところだ。焦らずじっくりと取り組むしかなさそうである。

 走圏を少しずつ増やしたら、今日また背中が痛くなった。最近は今までと違って腰や背中も使って歩くようになったので、古傷に負担がかかるようだ。これも気になるが、気血を通すようにしながらじっくりと取り組むしかなさそうである。中国の先生の講習会も始まるので焦り気味なのだが。