八卦掌・最近の進歩と発見 



 走圏をゆっくり練習するように心がけてから一か月ほどが経過した。同時に、それまでは歩数を基準に歩いていたのを、時間を決めて歩数にはこだわらない練習法に切り替えた。ちょうど腰を安定させて歩くことができるようになったこともあって、いろいろと変化を感じている。



 まず感じるのは、少し腰回りの筋が発達してきたこと。他の人のように発達してこないので焦っていたが、やっと少し発達してきた。これもなんども先生が直してくれて、やっと腰が安定するようになったからだ。



 もうひとつは、沈めるということ。腰や脇腹の充実を心がけていると、自然と気が丹田に沈むようになってきた。歩くとまだ安定感が不足する感じがするが、止まって立っているだけならピタッと腰が決まった感じがする。歩いても安定するには、もっと筋を強くする必要があるのだろう。



 技では、探掌、蓋掌の復習をしている。二年たって改めて学ぶと、最初は見えなかった部分が見えてきたり、理解できなかった部分が理解できたりする。



 まず思ったのは、遠藤先生の姿勢の低さ。馬歩になったとき、「こんなに低かったっけ?」と思った。先生と同じ高さで練習すると、実にキツイ。きつさに思わず息を止めてしまうので、さらにキツイ。



 馬貴派では、最初から低い姿勢で足を作ろうとはしない。走圏は「高架小歩」、つまり姿勢が高く歩幅が狭い。これは気血を養うことを第一義としているからだ。高架小歩といってもけっして楽ではなく、ひたすらキツイのだが。



 低い姿勢が出てくるのは、一年ほどして習う燕子抄水など仆腿歩の技。馬歩→仆腿を延々繰り返したり、左右の仆腿を腰を上げずに繰り返したり。いきなりやると膝を壊しかねないハードな練習である。



 一年間走圏で気血と筋を養ってからこの仆腿をやると、確かに違う。私は膝を痛めたことがあったので、最初は仆腿の練習が恐ろしかった。高い姿勢からはじめ、毎日少しずつ練習した。すると次第に腰を落とせるようになり、いつの間にか仆腿歩を左右繰り返す技を少しはできるようになってきた。



 仆腿歩は馬歩よりも低い。しかも一方の足に完全に体重が乗っている。この姿勢で腰の高さを変えないまま、足の力で反対側の仆腿歩に移るのである。これを左右繰り返す。この練習を始めた当初、股関節の外側が燃えるように熱くなった。ちょっと心配になったが、問題はなかった。やはり走圏で腎を養い、筋を強化してきた成果があったと思う。



 今ではあまり練習していないのでたいした回数はできないが、この練習をしてから馬歩も腰が落ちるようになった。低い馬歩ができないのは筋力の問題だけではなく、筋肉が慣れてないからだと思う。体が力の入れ方を知らないのだ。仆腿の練習をしたおかげで、低い姿勢での力の入れ方を体が学習したようである。強くするのはまた別の問題で、走圏で手一杯の私はそこまでできていないのだが。



 探掌、蓋掌でのもうひとつの発見は、扣擺歩での力の出し方。



 まず擺歩するとき、軸足の固定が走圏の功夫と密接に関係していることを実感した。これは最初に探掌を習ったときにはわからなかったことだ。二年間走圏を練った結果、「脚似釘」の意味がよくわかった。抓地というのは単につかむだけではなくて、沈身と筋の強さが相まって、「釘」にならなければいけないのだ。釘になってこそ、次の歩が活きてくる。



 もうひとつ、歩法は即ち身法であり、発力であるということも実感できてきた。擺歩で全身が同時に出ていき、また扣歩で全身が出ていく。この感覚が少しつかめた。特に探掌、蓋掌のように拗歩で打ち出す技について、腰のひねりに頼らない発力について発見があった。これが「ナンバ」とか「二軸」といわれるものなんだろうと思う。



 進歩はゆっくりだが、身体を作り、技を作ってゆく過程が段階を追って確実に存在していることが次第に体で理解できてきた。本来は当たり前のことなのだが、この体系をきちんと教授してくれるところは、実は非常に少ないのである。長い間待った甲斐があったな、と感じている。