霍文学先生の功夫



 最近忙しくてなかなかブログを書く暇がない。だいたい家にいないのである。

 さて、霍文学先生が強い件について。

 霍先生について知ったのは、もうずいぶん前。79年くらいだったかもしれない。「中国武術の世界」という福昌堂から出たムックだ。私が入社する前だから、79〜80年くらいだったのではないかと思う。

 馬歩は低ければ低いほどよいと信じていた私は、この本に写真が出ていた霍先生を見て
「何じゃこれ」と思ったのであった。

 姿勢が高い、動作が決まっていない。型だけ知っている人がテキトーにやっているとしか思えない写真を見て、「こりゃダメだ」と決めつけていたのであった。

 その先生に実際にお会いしたのは94年頃だっただろうか。実際に動きを目にしても、印象は変わることがなかった。

 やはり姿勢は高い。動きにキレがない。スピードもない。表演試合では非常に悪い点数がつきそうである。

 ところが。

 どういういきさつかは忘れたが、私にも用法を示してくれることになった。霍先生の示す用法はみな実にシンプルなのだが、この時もこちらの胸に腕を打ち当てる、といった簡単な用法だった。

 霍先生が私の右腕を左手で取り、右腕をゆっくり胸に向かって振る。私は左手で受ける。

 たったそれだけなのだが、霍先生の腕がふれたとたん、私は斜め上に吹っ飛ばされた。

 何というか、ものすごい質量である。とにかく重い。直径30cmくらいの鉄柱が、横殴りにぶつかってきたらこんな感じだろうか。受けるとか、こらえるとかそんなレベルではない。巨大な鉄の塊、あまりにも大きな質量がぶつかってきたら、人はどうすることもできないのだな、と思った。

 これが八極拳か、と度肝を抜かれた。ものすごい重さ、ものすごい威力だ。しかもそれが外見から全然わからない。腰高にゆっくり動いているだけにしか見えないのだ。

 霍文学先生にはお兄さんがいて、父親である霍慶雲先生に教えを受け、非常に強かったそうである。しかし工場の仕事で木片が目に刺さり、満足な治療が受けられなかったためにもう一方の眼も視力を失い、盲目となって武術家として活躍できなくなってしまったそうだ。

 霍文学先生は大学を卒業し、エンジニアとして工場長まで務めたエリートである。文学という名を付けられるくらいだから、武術一家の中で学問に進むことを期待された存在だったのだと思う。

 それでもあれだけの功夫があるのだから、霍慶雲や霍殿閣、さらには李書文はどれほど強かったのだろうか。

 あの重さ。あれはまったく異次元の強さである。触れられたら負けだ。しかもその腕は吊球や掌板で鍛え抜かれている。何をやってもかなわないという感じである。

 ダンプカーの前方に太い鉄棒を取り付け、ゆっくり進んでくる。そんな攻撃に、どう対処すればいいのだろうか。受けてもなんの効果もなく、そのまま進んできてしまう。霍先生の功夫はそんな印象だ。

 そして、ただ力強いだけではない。あるときみなで一緒に食事をして、支払いをしようとしたときのことだ。私が伝票を取ると、霍先生に奪われた。霍先生は胸のポケットに入れたので取り返そうとしたのだが、まったくムダだった。その反応や動きは推手の達人のようにすばやく、なめらかなのだ。思わず王西安先生と推手したときのことを思い出した。

 ひたすら重く、しかも柔らかく、反応が速い。それが霍文学先生の印象である。

 「暗勁」という言葉がある。これは「見えない力」という意味であり、また功夫の段階を示す言葉でもある。

 暗勁。それは外見ではわからない。触れて初めて理解できる力だ。

 そういった概念は知っていた。しかし、実際に体験したのは初めてだった。

 見る目がないというが、暗勁に関しては見てわかる人はごく少ないのではないだろうか。わかるとすれば、自分もできる人だけだろう。

 霍文学先生のような功夫は、いったいどのようにして養成するのだろうか。「霍家には秘密がある。そうでなければあんなにも強いはずがない」と、霍慶雲の弟子の一人、範伝儀氏も語っておられた。

 私は八卦掌をやるようになってその練功の原理が走圏と共通するのではないかと思ったのだが、その話はまた別の機会に。