八卦掌とアドヴァイタ



 一昨日の教室では、走圏の姿勢の改正を受けた。提肛のしかたについてだが、その位置で巻き上げるような感じか。自分にとっては大きな改正ポイントである。


 先日の李先生の講習会では上半身を直してもらったが、一昨日の腰の改正で外見上はますます普通の武術に近づいた感じ。その分、内部できちんと要求をこなさなければならないのだが。

 先週は、遠藤先生が沈め方を示してくれた。私に足りないところを強調して示してくれたので、ズバッと伝わってくるものがあった。さらにその前の週に「力は足から出る」といいつつ私の腕を押し下げる例を示してくれたのだが、この両方が合わさって新たな理解があったのだ。

 走圏は沈身の練功でもあるのだが、その一歩一歩がそのまま打撃の威力養成である、という原則が実にはっきりしたというか……八卦掌の打撃は実に簡単な原理なのだということがわかったような気がした。

 体重の移動のしかた、その時の沈め方、このあたりを大切に練習することが現在のテーマである。

 一昨日は帰りに遠藤先生と話していると、「今の自分はがむしゃらに強さを求めて練習しているわけではない」という発言があった。その理由を尋ねると、こういう答が返ってきた。

「人を傷つけるということは、自分を傷つけるのと同じことですから」

 遠藤先生は「大予言」という精神世界専門の古書店を経営されている。そちらの方面もいろいろと探求されたようなので、どういった思想・人物が好きなのか聞いてみたことがある。すると、「やっぱりアドヴァイタですね」という答が返ってきた。

 アドヴァイタ(不二一元論)とは、ラーマクリシュナやラマナ・マハルシなどの人物に代表される、インドの思想。私もラマナ・マハルシの思想を信奉しているので、その縁に驚いた。

 武術だけでなく、瞑想的な探求でも同じような方向を志向されている師にめぐり会えたことは、幸運といわねばならない。