三年目の総括
馬貴派八卦掌の講習会に初めて参加したのが、03年8月29日。気に入って、それからほぼ毎日少しずつ練習を続けてきた。早いもので、丸三年たってしまった。
馬貴派を学んで、いろいろな学びがあった。いちばんの学びは、「練拳不練功、到老一場空」の意味がわかったことかな。
馬貴派では、技の練習は二割以下。今の自分は、5%位の時間しか、技の練習をしていない。あとはひたすら走圏。
馬貴派の走圏は辛い。昨日は練習日だったが、まだ疲れが残っている。練習して少し要求がこなせるようになってくると、「楽になったかな」と思うことがあるのだが、すぐに先生が飛んできて新たな要求を課し、前よりも辛くなる。この繰り返しである。
ヘタレな練習だが、三年たって走圏がそのまま技撃の練習につながるということが少しわかってきた。一歩一歩がそのまま打つ練習でもある。姿勢の要求に集中していると、なかなか実感するのは難しいのだが。
走圏は練功である。練功とは、筋を発達させ、気血を養って肉体を変えていくこと。功力を養うことである。功夫とは、功力×巧さだ。功力なくして功夫はあり得ない、ということがよくわかった。
八卦掌は、走圏で体を変えていく。つまり内功である。「内功とは何か」ということも、馬貴派を学んで多少理解できた。
養生を基本として健康を増進させながら、気血や筋を発達させていく。重いものを扱ったり、鉄牛耕地(拳立て)や単脚屈伸(片足スクワット)などの外功もやらずに体を鍛え、発達させる。そのために、おそらくは道家に由来する功法と武術が結合した、走圏というシステムが伝わっている。
非常に優れたシステムだと思うのだが、欠点もある。
練習が単調で苦しい。
難解なので習う側の理解力、素直さ、忍耐力が要求される。
効果が表れるのに時間がかかる。
正しい指導ができる師が少ない。
単調なのと、効果がなかなか実感できないことが、この練習を続けることを難しくしている。私も三年練習してみたが、はっきりいって戦えるレベルにはほど遠い。ようやく練習のしかたがわかってきたかな、という程度。自分の練習がいかに足りないか、足や腰がいかに弱いか、そのことばかりが痛感される。
まだまだ先は長い。だからこそ、やりがいがあるといえるのだが。