中正

 二週間ほど前、遠藤先生と軽い組手をしているときに、左の膝を少し痛めた。左のローキックを膝のあたりで受けられ、膝が反対に曲がるような状態になってしまったのである。

 軽いスパーリングのだったのでたいしたことはなかったが、それでも十日ほどは膝が抜ける感じがしたり、鈍い痛みが残った。かばっているうちに右膝の古傷も出てきた。


 右膝の故障は走圏にも多少影響があって、左回りのときに右膝に負担がかかるのがよくわかる。遠藤先生は膝の使い方に関して細かい注意をしてくれるのだが、それは先生も陳式太極拳の激しい練習で膝を痛めた経験があるからだと、よくわかった。


 膝が悪いと、いかに膝に余計な負担をかけずに練習するかを考えざるを得なくなる。先生に受けた注意を思い返しながら、先生がどれだけ太極拳に打ち込んだか、そして壊した膝をかばいながら正しい足の使い方をどれだけ工夫したか、改めて感じることができた。


 先日の練習では、熊趟、龍趟をいつもとは違うやり方で練習した。とくに龍趟はやったことのない練習法で、いろいろな気づきがあり、新鮮だった。


 このとき龍趟の腕についてもいろいろな注意を受け、勉強になった。太我会では龍爪掌を採用しているが、この掌型で走圏をしながら前腕や手首、指、肩を鍛える方法を細かく教わった。先生は肩の筋肉も発達していて、肩胛骨の上あたりの筋肉が硬く盛り上がっているのが印象的だった。


 先生と対練や組手をして感じるのは、その手の重さだ。攻撃をさばいても、手が重いのでさばききれないのである。形意拳の虎形拳で攻めてこられると、ガードを叩き落とされ、そのまま両掌で打たれてしまう。突進力もものすごく、まるで鉄でできた達磨が向かって来るようで恐ろしいのである。


 大桿子の練功で鍛え上げた腕や肩は骨太で、しかも長年の太極拳の練習で完全に放鬆した上で勁を出せるので、始末に負えない威力である。


 話は変わって、先日、古い武術仲間と久しぶりに会って少し交流し、いろいろと気づきがあった。


 彼は八光流の免許皆伝を受けており、その技を体験させてもらった。その時彼は、「八卦掌をやっているので、ずいぶん体が重くなったね」と言った。もちろん体重が増えたというわけではなく、走圏の練功によって重くなったようである。


 彼のひと言で、この六年間、毎日走圏の練習をしてきたことが、無駄ではなかっんだな、と理解できた。もちろん無駄とは思っていなかったが、どれほど成果を上げているのかはわかっていなかったのである。


 彼との交流で、丹田に沈めることができるようになった気血の重さが、八光流の技に応用できることに気づいたのである。そして、打撃でも同じことができるということも気がついた。


 彼と八光流の技をかけ合って再認識したのは、姿勢を正しく保つことの重要性である。技を効かせようとするとつい前傾しがちなのだが、丹田に重さを集め、体をまっすぐに立てて肩の力を抜いて技を行った方が、ずっと効くのである。


 佐川先生も姿勢の重要さを強調しておられ、佐川道場の四方投げは背すじをまっすぐ伸ばしたままで行う。その方が、急角度で投げが決まるのだ。


 丹田に気血を沈めたまま、姿勢を正しく保つ。これは中国武術で言う「中正」だな、と感じた。走圏はまさしくその練習をしているわけである。


 その要領で、八光流の雅勲という技を試して見ると、確かに効果的である。熊趟も雅勲をかけているイメージで歩くと、いい感じである。これまで熊趟は用法と結びつかなかったが、このイメージで歩くのも悪くないな、と思った。


 要領も外見もまったく同じなのだが、走圏が技と結びつくことで、中身がまったく変わってくると思う。気血の沈め方も、走圏しか知らずにやるより、技の練習を平行して行い、勁の運用、用法などの理解を深めて行く方が、結果的に走圏の上達も早いのではないかと感じた。