呉式の功夫 



 先日、四川風羊肉のしゃぶしゃぶ「麻辣湯」を腹一杯ごちそうになった。「武術体操」の巻頭インタビューにも登場してくれたLさんのお宅にお邪魔したのである。

麻辣湯とは、四川風羊肉のしゃぶしゃぶのことだ。辛いスープで羊の肉に火を通し、野菜やキノコ類ととともにいただく鍋物である。コクのある羊肉と、独特の辛いスープ、香ばしいごまだれがマッチして、非常にウマイ。


Lさんのダンナさん、O氏も武術の大会に出ている方。主に呉式太極拳を練習されている。この日は、少し推手を教えて下さった。



私は推手をきちんと学んだことがないので、まったく歯が立たない。O氏は太極拳をやり込んでいるので体ができている。腕は重いし、腰は据わっている。


腰回りはどうだろうと思って触らせていただくと、けっこうすごかった。


私が練習している馬貴派八卦掌では、腰椎の左右にある脊柱起立筋の発達が重視される。O氏のこの部分は、かなり発達していて、私は完全に負けていた。脇腹や丹田にも触らせていただいた。ハリがあって、すごい弾力である。


奥様は北京の有名な太極拳家、李秉慈老師に中学一年生の時から学んでいる、名手。O氏は奥様を師とし、本人曰く「内弟子」となって練功されているので、功夫があるのだった。


「行住坐臥すべてが練習になっているので、改めて練習することは少ない」という境地は自分には想像できない。30代なかばにしてそんな境地に達するとは、日本もすごい状況になってきたものである。


もうひとつ彼の言葉で印象に残ったのは、「武術を長く練習して、おかしくならなかった人が名人になる」というもの。武術の練習は小周天、大周天を自然に練ってしまうので、人によっては精神に異常を来すことがある、というのである。


確かに、私のように健康法程度にしか練習していなくても、毎日練っているとうなずける部分がある。最近、ものすごくエネルギーが充満して、根拠のない自信に満たされることがあるのだ。そういう時は武術に関して人に何か言われると非常にうるさく感じるし、道を歩いていて無神経にぶつかってくる輩がいると、喧嘩を売りそうになる。


しばらくすると我に返るのだが、O氏の言葉にもなるほどと頷けるような体験なのだ。


八卦門にも馬維祺(ば・いき)という人がいて、実力があったのだが試合をして人を傷つけることを好み、最後は自分が打ち殺されてしまった。


台湾に曹連舫(そう・れんほう)という形意拳家がおられた。曹氏の師は趙克礼といって、尚雲祥の弟子である。曹氏が学んだ頃、趙克礼はすでに半身不随であったため、口で教えていたという。おそらくは古い弟子が教え、趙は要訣を授けていたのではないだろうか。


その趙克礼を半身不随にしたのが、馬維祺であるといわれている。馬維祺の名声を聞いて試合に訪れた趙は、立ち会ったとたんに実力の差を悟って「参りました!」と告げたが、馬維祺はかまわず歩を進めて両掌で趙の脇腹を打ったというのだ。


程度は異なるかもしれないが、心意六合拳の歴史にも二人ほど似たような人が記録されているし、李書文も晩年はかなり怒りっぽく、周囲は手がつけられなくて困ったと関門弟子の劉雲樵は語っている。


仏教でも、禅宗の世界では「野狐蝉」といって、小さな悟りに凝り固まって他人の意見を聞かず、増上慢に陥る人がいるそうである。これも、座禅によって丹田が中途半端に開発された結果ではないかと思う。丹田はパワーと自信の源だから、この部分だけ目覚めてエゴが肥大すると、悲惨な結果に終わってしまうのだ。丹田より下の部分だけ目覚めると、色情狂になってしまうそうだから、これも恐ろしい。


ならばどうしたらよいのかというと、「いい先生につく」しかないと思う。思うに、八卦門でも伝統的な走圏を教えなくなったのは、馬維祺の一件があったからではないかと思うのだ。それまではかなりオープンに教えていたようだから、馬維祺の悲劇は当時の八卦門にとってそれだけ大きな問題だったのだと思う。


それにしても、O氏の腰、腹回りの発達と、推手の強さはいい刺激になった。自分も負けずにがんばろうと思います。