高架小歩

 今年になって、走圏で感じた変化。

 まず、今年の初め頃から一か月あまり続いた左足のアキレス腱痛。これは痛かった。歩くのにも不自由した。

 これが治ったあとしばらくすると、練習後に右膝が腫れたような違和感が起きるようになった。これは今でも続いている。

 しかし不思議なことに、教室でハードに練習したからといって症状が重くなるわけではなく、10分ほどしか練習しないときと同じ程度にしか悪化しない。やはりアキレス腱の場合と同じように、気血の滞りとその回復の過程が表れているようだ。

 このほかに下半身で痛めている箇所は、右足首、右股関節などがある。こうした箇所もそのうち何らかの不具合が出て、また解消されていくのだろう。楽しみでもあるし、不安でもある。

 それから記録しておかなければならないのは、走圏の姿勢を少し変えたこと。練習日記を見ると、三月の初めのことだ。

 きっかけは、練習仲間の英国人。彼は年齢、身長、体重、練習歴ともに私と共通しているのだが、昨年の暮れくらいから急に丹田が発達してきた。彼も仕事が忙しくて練習量は多くないはずだから、なぜだろうと走圏を観察していた。

 すると、身長は同じくらいなのに彼の方が姿勢が高い。以前なら「低い方が足が鍛えられる」と思って気にしないところだが、今回は違った。彼の丹田が発達してきた原因は、この姿勢の高さにあるのではないか、と思ったのだ。

 それまでの姿勢も自分としては低くしているつもりはなく、むかし練習していた三体式や馬歩に比べればずっと高いものだった。しかし、英国人と同じ高さにしてみると、それはかなり高く感じた。違いは六、七センチメートルくらいだろうか。

 高い姿勢で歩いてみて感じたのは、肩に無駄な力が入りにくいこと、腰が変な風にねじれにくくなったことなど。これまで直そうとしても全然直せなかったそうした欠点が、姿勢を高くしただけでかなり修正された気がする。自分では気づかなかったが、姿勢が低いために足に負担がかかり、上半身も力んでしまっていたのだ。

 姿勢を高くすれば無駄に力むことなく、腎や丹田を充実させることに集中でき、気血を養う効果が高まるのである。三年も低すぎることに気づかず練習を続けてきたことに、思いこみの怖さを感じた。それまで練習してきた武術では常識だったことが、邪魔をしていたのだ。他にもこうした間違った思いこみが、たくさんあると思う。

 走圏でもうひとつ同じ頃に変えたのが、歩幅。同門のA氏に歩の運び方についてアドバイスを受けたことと、腰を安定させるために歩幅を狭くした方がよいと判断したのだ。李先生は馬貴派の走圏の特徴として「高架小歩」を挙げておられたが、ここに来てやっとその意味がわかってきたのである。

 「含胸亀背」「下端腰」「提肛」などの姿勢を守って歩くことによって腰や丹田を養おうとすれば、やはり「高架小歩」しかないようである。姿勢が高いからといって足が楽かというとそんなことはなく、やはり歩いているとすぐに疲れてくる。このあたりが馬貴派の走圏の不思議なところである。

 姿勢を変えて二か月あまりたった。その結果感じるのは、腰や脇腹の筋肉が少し発達してきたこと。また、鏡で見ると少し丹田も出てきた。練習していても、腰の部分の充実感が、以前より強くなってきている。腰と足がつながる感覚も、多少は感じられるようになってきた。

 「学び初めて三年間は、それほど真剣に練習していなかった。三年たった頃から、『これは何かある』と感じて、真剣に練習するようになった」。馬貴派の走圏について、李先生もそう語っておられた。

 「三年で小成」という言葉があるけれども、馬貴派八卦掌の場合は三年たってようやくスタートのような気もする。走圏の姿勢が体になじんでくるまで、どうしてもそれくらいの年月はかかるように思うのだ。

 小さな気づき、変化は他にもたくさんある。腎のゆるめ方、背中の使い方、腰の安定のさせ方、骨盤と足の接続の問題、肩の脱開について、など。また機会を見つけてメモしていきたいと思う。