走圏で得たもの

 馬貴八卦掌で得たものは、やはり走圏の詳しいやり方だ。精誠八卦会に入門して三年あまり、走圏に専念して教授を受け、練習できたことは得がたい体験だったと思う。

「馬貴派の走圏は内家拳の核心、いや中国武術の核心じゃないですか」と、先日もある会員が評価していた。体を武術向きに作り上げていくこの練功法は、実に優れていると私も思う。確かに健康によいし、功夫をつけるには最適である。身につけるまでが少々大変だが。

 走圏の指導を遠藤先生に受けて三年半ほどたつが、改めて思うのはその指導の的確さである。というのは、自らの経験から来る分析、考察を加え、またさらに生徒個人の進度、体質、性格など諸条件を見極めた上での本人に合わせたきめ細かい指導は、才能も努力も欠けた自分にとって本当にありがたいものだった。

 具体的にも、その指導内容には独特のものがあったと思う。講習会で李先生が教えるものは、集団指導ということもあってあくまで標準型、理想型である。八卦掌としてあるべき姿を、きちんと教えてくれるのだ。遠藤先生は段階に応じて、守るべき要領と当面は気にしなくてよい要領を区別して教えてくれた。また時には、標準から外れ気味の姿勢をとらせることもあり、それは生徒の癖を矯正するために一時的にそのように指導しているようである。

 また李先生が10の要領を平均して説明しているとすると、遠藤先生はそのうち二つを特に強調して教えたりする。重要なものを特に強調するのだ。中には李先生がごくまれにしか注意しないものもあって、その差が興味深い。

 三年半学んで、ようやく走圏のアウトラインが見えてきた気がする。最近の収穫は、丹田が自覚できるようになってきたこと。技を行う際も、丹田を基準にすることができるようになったので、感覚がかなり変わってきた。走圏のあの苦しい姿勢はこれを体得させるためだったのだな、と思えるようになった。

 最近は会も大きく変わりつつあり、練習内容も以前とは違ってくるようである。走圏に一区切りがつきつつある今、新しいことを学べるのはありがたいことだ。また、他に気をとられず、三年間走圏に集中できる環境にあったこともありがたいことだと思う。

 走圏で功夫を高めつつ、そこで得たものをどう活かし、ほぐしていくか。始まりつつあるその試みが実に新鮮で、楽しみである。新しい動きを練習することは、意識もまた新しくなるのだということを実感しているのだ。武術を学ぶのは本当に楽しいことなんだな、と思える今日この頃なのだった。