『仏音』(高瀬広居)より。


 この炉心の溶解した世をどうしたら倫理的に再生し、礼節と恩愛と利他愛に富んだ社会へ、日本を、そして日本人を再構築できるのだろうか。
 人は西欧的知力の復元こそキイワードだと説く。知の技法と思惟による強靱な合理性と、理性の力による人間のコントロールである。
 しかし、夏目漱石が述懐しているように、「西欧化と開花」は「虚偽と軽薄」を日本人に注ぎ込んでいく。いくら西欧文明で自己認識を変えようとしても「上っ面を滑って行き、また滑るまいと思って踏張るため神経衰弱になる」気の毒な日本人を生むだけに過ぎないだろう、と漱石はいう。この漱石の指摘は「文化とアイデンティティ」の問題として「平成」のいまも日本人につきつけられている。



 自分が瞑想を探求し、肉体の中に答を探そうと武術にしがみついているのも、こうした考えと共通するものがあるからだ。別に日本人をどうこうしようとは思っていないが、「知の技法と思惟による強靱な合理性と、理性の力による人間のコントロール」には限界があると、本能的に感じているからである。

 武術は、自分の力だけでなく外部の力=重力の助けをいかにうまく借りるか、という点にポイントがある。瞑想の道も、いかに個を手放して、より大きなものに意識を開いていくかがポイントなのだ。