走圏と座禅

 「走圏の際、腰から上は座禅と同じである」と中国の先生はおっしゃたそうだ。最近、含胸に注意しながら走圏を行っていて、少しその意味がわかったような気がする。

 丹田に気が落ち、充実していく感じがするのだ。実際、先生のお腹はパンパンだし、先輩の中にも丹田や横腹が大きくふくらんできた人がいる。

 含胸して気を沈めるやり方を、本應寺で瞑想する際の応用してみた。すると、いけるのである。そんなに極端な姿勢をとらなくても、しっかり丹田に気が落ちてゆく。座っているだけで丹田が充実していくのである。

 江戸時代の剣士たちも盛んに座禅を組んだようだが、その目的のひとつにこれがあったんじゃないだろうか。丹田を充実させていくと、健康になり、気力が湧き、細かいことが気にならなくなる。剣術を修行する上でも、大きく役立ったはずである。

 もうひとつの効用に、重心が低くなり、安定するということがある。肩や胸の力を抜き、丹田に沈めることによって、実際に体を重く使えるようになるのだ。

 今日は走圏の前に、この点に気をつけて八極拳の突きをやってみた。やはり体を重く使えるが、同時にこれまでいかに自分が軽かったか、そして今でも全く沈みきっていないことを痛感した。

 座って沈めるのはわかりやすいが、歩きながらとなるとむずかしい。まして技を行うのはもっとむずかしい。しかし武術である以上、戦いの中で自然にこれができなくてはならない。ちょっと気が遠くなるような目標なのである。

 ひとつ補足したいのは、含胸して気を沈めるというような内功に関する練功は、先生について行う必要がある、ということ。自己流で行うと思わぬ偏差(副作用)があるかもしれないので、注意が必要です。