今日やっと、霍永利先生の講習会へ表敬訪問に行ってきた。

 霍先生は中国の武術界の現状や、戴氏心意拳の現状を話してくれた。その後、丹田功の話に移り、「お前は丹田功を学んだことがあるのか? なに一、二回やった? 何で続けないんだ」と問いつめられた。「こんな良いものをやらないなんて、お前いったい何を考えてるんだ!」といった勢いの霍先生に対して「いえ、八卦掌を」などといえる雰囲気ではなく、しどろもどろになっていると、「丹田功の意味を知っているか?」と言いつつ先生はおもむろに立ち上がって実演してくれた。

 さすがにこの道数十年練り込んだだけのことはある、重厚で精緻な丹田功。ただ上下に動くだけでなく、S字状というか、ト音記号(楽譜の一番左にあるマーク)というか、含胸とともに回転しながら降りていった気が丹田のところでまたぐりぐりと巻き込まれていくように見える、奥行きの深い動きだ。

 その後、丹田功がどう技法に展開していくか、さまざまな動きを見せてくれた。噂に聞くすさまじい発勁の連続である。すべての技が大きな丹田の動きに乗って、ズバッ、ズバッと繰り出される。丹田が360度自在に動くのだ、と解説してくれた。

 丹田を中心に自由自在に繰り出されるこの発勁形意拳というより陳式太極拳に共通するものを感じた。ただ同席していた武術研究家のA氏によると、霍先生のように丹田を強調した身法を行う人は戴氏の中でも少ないそうだ。霍先生の技は、長い練功の経験の上で到達した独自のものなのかもしれない。

 その後、どうしても霍先生の技を体験したかった私は、磨手に話を振った。磨手とは太極拳の推手に似た、二人で両手を触れ合わせて行う攻防の練習である。

 磨手から繰り出される霍先生の技は太極拳のように柔らかく、こちらの攻撃をいなしたかと思ったら両手でパッと腹を打たれてとばされてしまう。打たれた衝撃はほとんどなく、突き飛ばされたような感触でもないのだが、思ったよりずっと遠くまで飛ばされる。後ろで受け止めてくれなかったら、壁に激突していただろう。

 意拳の取材で于永年先生の弟子に飛ばされたときもそうだったが、突き飛ばされるショックはないのである。ふわっと押されただけなのに、いつの間にか自分の体に大きなエネルギーが持たされていて、後ろへ吹っ飛んでいくのだ。不思議な感触である。きっと柔らかく長い勁を使っているのだろう。打ち方によって、鋭く体内に浸透するように使い分けることもできるのだと思う。

 霍先生の技を見ながら、自分の学んでいる八卦掌と比較してみた。確かに練習法は違うし、技法の表現も異なる。

 まず発勁で言うと、われわれの八卦は戴氏のようにタテの身法を明らかにしない。腰は丸めたまま、伸ばさないよう指導される。穿掌を打つ場合、腰の左右回転も表に出してはいけない。

 八卦にも両掌で中段を打つ技があるが、発力の原理は共通するのではないかと思う。ただ、八卦の場合あまり外へ表さないのではないだろうか。

 そして、そうした発力をどうやって身につけるかという方法論に大きな違いがあるのではないかと思った。戴氏は丹田功や虎歩を通じて動きながら学び、練る。それに対して八卦の場合、上体は固定したまま歩くことによって身につけ、練ってゆく。

 つまり、蓄勢の状態で固定して歩き続けるのである。そのために、上体の形、腰の形、そして腰や上体と足の関係、地面との関係を細かく指導されるのではなかろうか。こうして完全な蓄勢のまま歩けるようになると、後は発するだけになるわけだ。

 霍先生は民間の武術家である。ほかに仕事を持たず、武術だけで生きておられる方である。それだけに武術が大好き、戴氏心意拳が大好きという気持ちが非常に伝わってきた。

 霍先生の講習会も、残すところあと一日。本日が最終日である。飛び入りも歓迎するそうですので、興味のある方はぜひご参加下さい。心意拳を学びたい方はもちろん、他門派の方もきっと得るところが多いと思います。
 嘉翡之中国武術見聞録のトップページにある霍先生の写真をクリックすれば、詳しい情報が出ています。場所は杉並区の浜田山会館です。