鶏腿

十月になってやっと健康状態も回復し、練習する気力も戻ってきた。やはり気力は体力から出てくるものだと痛感。


まだ練習量は大したことはないのだが、それでも練習していると気づきが増え、気づきが増えると練習がおもしろくなって量も増えてくる。いい循環が生まれつつある。


走圏では、足に関していろいろと受けてきた注意が少しずつ理解できてきた気がする。先生は走圏の足のあり方について、「鶏腿」という言葉を使われた。これは「トリモモ」ではなく、ケイタイと読んでいただきたい。


鶏腿とは、もともと心意拳の拳譜に出てくる言葉で、身成六式といわれる拳訣のひとつである。ちなみに、身成六式とは次の通り。


鶏腿、龍身、虎抱頭、鷹捉、熊膀、雷声


「金鶏独立の功」という言葉もあるが、鷄は歩くときに両足の重心の切り替えがすばやく滑らかで、片足立ちの連続が見事である。また、あの細い足一本でぐらつきもせずしっかりと安定して立つことができる。こうした足の使い方のことを、「鶏腿」と呼ぶようだ。


収胯と膝の位置についてずいぶん指導を受けた。とくに後ろの足から前の足へ重心が移っていくとき、収胯が崩れてしまう点について何度も注意を受けた。この点は自分にとって非常に難しく、今でもつかみ切れていない。


こうした注意はすべて足に勁を通すという目的のためにある。足に勁が通った状態が、「鶏腿」なのだと思う。私はこの状態を、蓄勁の状態を崩さずに歩くことではないかと考えている。収胯が崩れてしまえば、足の勁を腰に伝えることができなくなってしまうからだ。走圏を歩きながら、常に蓄勁を保ち、いつでも勁を発する準備ができているのが正しい走圏であり、その姿勢で歩くからこそ発勁に必要な筋が鍛えられるのだろう。


肩をゆるめて丹田に落とし、上体の重さを足に落とす。このとき、胯を収めて足に勁を通せば、膝から下も充実し、地面に突き刺さる杭のような感覚が生じる。


他には、姿勢の中正を保つことの意味を実感して、この感覚を走圏や技の練習の際も保ち、散手にも生かして行く必要性を感じている。


散手に関しては、ふだん練習している套路の技がうまく出てこないので、「散手で使う」という視点からこれまで学んだ套路を見直していく必要性を考えている。


そのためには散手の構え、動きから技が出るような形に多少アレンジする必要があり、やらなければならないことがたくさん出てくるのである。


中正と散手の問題はもう少し詳しく記録しておきたいと思っている。