丹田の自覚

 今年の三月頃に、走圏を少し変えた。若干姿勢を高くするようにしたのだ。それは、足への負担を減らし、腰を強くするためだった。

 足への負担が減ったため、肩の力みも少なくなり、腰の強化に集中できるようになった。そのおかげで丹田をよりはっきり自覚できるようになり、身体各部への細かい注意もしやすくなったように思う。

 丹田が自覚できる、いいかえれば腰腹をしっかり充実させることができるようになったので、そこを支点として力を発することができるようになったと思う。これまでよくわからなかった熊形や龍形の撞掌も、できるようになってきた(と思う)。

 自分でも大きな進歩だと思うのは、普段ふつうに歩いているときでも、走圏の時と同じように腰腹を充実させ、丹田に気血を集めることができるようになったこと。

 先日は一時間ほど散歩したが、そのときにこれを試したら帰宅したときには丹田がパンパンにふくらんでいた。

 最近は道を歩くときはなるべくこの状態を保つように心がけている。走圏のように筋を鍛えることはできないが、気血を練り、肩の力を抜き、胃経を通す練習はできる。

 歩きながら丹田を練っていたら、走圏も変わってきた。熊形の時も、自然に軸が立ってきたのだ。これまでは意図的に含胸亀背や提肛を強調しなければ丹田を充実させることができず、前傾しがちだったが、ふつうに歩いているときと同じように充実させてから熊形に移行すると、自然に軸が立つのだ。

 軸が立つようになると、肩の力も抜きやすくなった。前屈みだとどうしても肩に力が入りやすくなるが、軸が立つと肩から腕をつり下げる感覚で力を抜きやすくなるのだ。

 先日は、龍形でこれまでにない感覚があった。しっかり腰をねじることができ、これまで伸びたことのない筋を伸ばすことができて、実に気持ちがよかったのだ。

 走圏は奥が深すぎてなかなか技に結びついてこないが、何年も腰や足に意識と力を注いできた結果、いくつか効果を感じている。

 ひとつは、いままで感覚が鈍かった腰や脇腹の筋に感覚が行き届くようになり、伸ばしたり、充実させたりして鍛えることができるようになったこと。

 そのおかげで、そうした部分の筋をうまく使って技を行うことがわかりかけてきたこと。

 こうした効果は腰だけでなく、足の裏にも感じている。技を行うとき、足裏の接地感を大事にするようになったし、発勁の際に足の指を使えるようになってきた。

 足の指は脳から遠いので、神経が行き届きにくいのだと思う。感覚も鈍いし、ふだん使わないから弱く、うまく使えない。それが走圏によって鍛えられ、神経も目覚めてきた気がする。腰や脇腹にも、同じことがいえるのだ。

 この夏からは会の名称が変わるとともに、練習の内容も変化してきた。そのおかげで、個人的には以前練習してきたことと八卦掌で培ってきたことを融合させるような方向に向かっている。

 最近は教室で習った新しい練習法をヒントに、穿掌の練習法を考えついた。最近できるようになった丹田を使った発勁と組み合わせると、以前より鋭く穿掌が打てるようになった。

 そこで感じるのは、やっぱり体を作らなくちゃだめだな、ということ。このままでは子供のおもちゃだ。結論はいつも同じです。