終戦記念日と読書



 二十代後半くらいから、一般の小説を読まなくなった。人が頭で考えたものに興味が持てなくなったのかも知れない。そこで、司馬遼太郎を読み始めた。それまで歴史小説は読まなかったのだ。

 司馬遼太郎を読んで、初めて日本史がわかった気になった。そして、やっぱり事実ってものはおもしろいんだな、と思った。もちろん書き手によるのだが。

 司馬遼太郎を読み尽くして困っていた頃、ゲームで「提督の決断」というのをやった。太平洋戦争のシミュレーションゲームだ。これで初期設定を日本に有利にし、東南アジアやニューギニアを完全占領、ハワイやアメリカ西海岸に攻め入って悦に入っていた。

 そんなとき、「戦艦武蔵のさいご (ノンフィクション・ブックス)」という本を読んだ。レイテ湾へ攻め入る栗田艦隊に加わり、シブヤン海で米軍に撃沈された、戦艦武蔵。本書は、武蔵の乗組員だった渡辺清氏によって書かれた手記である。

 この本は児童向けに書かれたもので、反戦の立場に立っている。それだけに戦闘場面の悲惨さはリアルだった。ゲームでは一切現れない戦闘現場の悲惨さ。目の前で人の体がちぎれ、吹き飛んでいく。

 おもしろがって戦争ゲームをやっていた自分を恥じるとともに、第二次大戦に興味を持った。

 そして書店で「坂井三郎 空戦記録」を見つけ、読んでみた。この本は、海軍の戦闘機パイロットとして日中戦争の時期から活躍し、アメリカ軍を相手にも活躍した坂井三郎氏の自伝である。

 死線をくぐり抜けながら、技術と精神力で危地を脱し、敵と戦った事実に魅了され、氏の著作は全部読んでしまった。

 坂井氏の体験は武道と共通する点が非常に多く、興味深かった。また苦難を乗り越えていくその精神力にも、男心に訴えるものがあるのだ。

 坂井氏の著作を読んでしまったあとは、光人社朝日ソノラマの戦記文庫を手当たり次第読んだ。数えてみると、合計で100冊を超えている。

 昭和三十四年生まれの私は、一方的に戦争はいけないものと教育されてきた。一言で言うと、靖国神社参拝は理解できなかった。だが、命を賭けて戦った男たちの手記を100冊も読むと、なんだか自分も戦争に行ったような気になって、天皇や首相の参拝を願う戦没者遺族会の気持ちもわかるようになった。

 私の義父は山東省済南の出身で、日本軍の侵攻により10代の間はずっと各地を転々と疎開していたという。家族とも離れて暮らしていたわけで、最近まで自分の姉は一人だと思っていたところが、二人だとわかったそうだ。それほど、中国人の生活に影響を与えたのである。

 河南省の田舎である陳家溝に行ったときも、近くで日本軍との戦闘があったと聞いた。山西省に行ったときも日本軍の痕跡があり、こんなところまで、と思ったものだった。私自身中国と縁が深いので、共産党の老幹部が日本の首相がA級戦犯の祀られている靖国神社を参拝することを決して許せないのも理解できる。

 靖国神社は教義上、分祠はできないというが、それなら別祠という考え方をするしかないだろう。本殿からA級戦犯の名前を外し、別の祭殿で祀る。教義上どうかは知らないが、形だけでも分けないことには収まらないだろうと思う。

 以前、同世代でやはり戦記物をたくさん読んだ知人と話したとき、「戦記物は基本だね」ということで意見が一致した。戦争について知るには、それがいちばん手っ取り早いと思うのだ。特に坂井氏の著書は「実戦」を体験した人の書いたものだけに、そのあたりの武道家がちゃちに思えるほど内容がある。日本人とは、平和とは、といった問題を考え、語る上でも「基本」だと思うのである。