『小説 暁烏敏 地獄は一定すみかぞかし』(石和鷹、新潮文庫)読了。「一定」はいちじょうと読む。

 著者の石和鷹は本名を水城顕といい、文芸誌「すばる」の編集長だった人。大酒を飲んで文学を語る、無頼派の人物だったそうだ。大酒とタバコが祟り、咽頭ガンとなって声帯を切除。歩けないほどの腰痛に苦しみながら、路上に横たわってしまう描写の絶望感がすさまじい。

 そんな「地獄の底」に到達した著者の心に響いてきた「地獄は一定すみかぞかし」という暁烏敏のことばを出発点に、死の恐怖と戦い、己の存在意義を問うすさまじいエネルギーが書き付けられたのが本書。

 暁烏敏(あけがらす・はや)は、明治10年(1877)に生まれ、昭和29年(1955)没。石川県の浄土真宗の寺に生まれ、後に東本願寺の宗務総長をつとめた人。けっして清廉潔白な僧としての生涯を送ったわけではなく、公然と愛人を持つなど、物議を醸し、毀誉褒貶の激しいカリスマ的人物であった。

 声を失い、ガンの再発におびえながら「何か」を求める著者は、聖人ではなかったが自分に忠実に、正直に生きた念仏者、暁烏敏に強く惹かれていく。

 この作品は、同じ病で声を失った老婦人、湯浅よね子との対話という形で、暁烏敏の生涯やその思想を紹介してゆく。湯浅よね子は、念仏と暁烏その人に惹かれながらも、暁烏の身勝手ともいえる奔放さに強い反発と疑問を覚え、それを著者にぶつける、という設定になっている。

 小説としての形式は稚拙ともいえる単純さと強引さだが、それ故にもはや時間の残されていない著者の鬼気迫るまでの思いが伝わってくる。

 なぜオレがこんな目に遭わなくてはいけないのか、人生とは何なのだ、生とは、死とは、救いはどこにあるのか……。

 念仏とは何か、救いとは何か、という問題についてこの作品には触れられていない。ただ、暁烏敏に惹かれる自分と、疑問を呈するよね子が突きつける暁烏敏の醜さが交互に繰り返される。

 醜くても救われるのか。欠点だらけでも救われるのか。オレの救いはどこにあるのか。声を失い、糖尿としつこい腰痛に悩まされ、再発におびえる石和鷹が心の底から求めていたのはその一点なのだろう。以下、引用。

 あぶら照りの街の一角で、叫びも歩行もならず、歯まで抜け落ち、踏んだり蹴ったりの思いに落ちこんでいた私の胸に、「地獄は一定すみかぞかし」という言葉は、鉛の弾のように重く、けれどなぜか慰撫の響きをともなって、深々と撃ちこまれた。ここよりほか、どこへも行きようがない、行きつくところまで行きついた、という思いだった。
 私はなりふりかまわず地べたにすわりこみ、それのみか長々と路上に身を横たえさえした。


 これは文庫の18ページにある文章。彼はこの作品の中で、自分の救いについて明確には触れていない。だが、この一節に著者の感じた救いが表れているように思う。この作品を再発した病の床で完成させた後、石和鷹=水城顕は人生を終えた。この作品の最後は、暁烏敏の実家・明達寺を訪れ、鐘の音を聞きながら帰途につく場面で終わる。

 ばーん、んむんむ、んむ、んむ、……
 鳴るたびに、私は一歩ずつ前へ進む。
 この鐘声が果たして名鐘の音色なのかどうか、私は知らない。
 が、声が出たら伏してむせびたくなるような、かたちあるものなら抱きすくめたくなるような、心にかなう、かなしくも寂びた音色だった。
 その鐘声に送られて、私は帰途につく。畜生の道を踏みしめて行く。あたりは暗みわたっていて、人影はどこにもない。