龍趟は指先を練る 

 昨日(6月7日)は練習会だった。八卦掌ではなく、長拳系の練習だったので、今日はちと筋肉痛。後半は武器の套路を何度も全力で練習したので、前腕に筋肉痛が残った。


 拳法でも、いくつか重要な技を重点的に練習したが、実戦を想定したスピード、威力を出して行うと体力不足を痛感する。足腰が安定しないし、勁力も不足。やはり、技を自分のものにするのは簡単なことではない。走圏と八掌だけではやはり足りないものがある。それはひと言で表現すると、「激しさ」かな。


 武器の練習もふだんは思い切り練習する場所がないので、いい経験になる。教室では人も多いので、なかなか思い切り武器を振り回せないのだ。


 遠藤先生は武器もやり込んでいるので、動きもいいし威力もさすがと思わせるものがあった。こちらの武器を小さく打たれただけで、取り落としそうになる。先生の説明を受けて、用法についても、深く考えていなかった部分がたくさんあることに気がついた。


 さて八卦掌。先週の教室では、走圏で初めての注意を受けた。それは提肛のやり方について。今まで受けたことのない注意だった。要するに、地面へ勁を通すための注意で、これが収胯にもつながってくる。


 今までこの注意を受けなかったのは、やはり腰の充実に重点を置いていたからと思われる。腰を充実させるために、あえて注意してこなかった点があったのだが、五年が過ぎてようやく次のステップへと進めたわけである。確かに、この新しい注意を守ると、初心者には腰の充実がむずかしくなるかも知れない。収胯や端腰と、提肛や腰の充実は両立しにくいのである。最近は無意識にでも腰を充実させることができるので、収胯に気を配れるのだと思う。


 しかし、指導を受けてもこんなに何年もかかる練功法を、いったい誰がどうやって考え出したのだろうか。その点を考えると、いつも不思議な思いにとらわれる。行き止まりになっている脇道は無数にあるのに、正しい答を見いだした、先人たちの試行錯誤の歴史を思うと、気が遠くなる。


 龍形では、指先についての説明を受けることが多い。尹馬派でいう龍形を太我会では他の走圏練習法と区別するために「龍趟」と呼んでいる。読み方は日中ちゃんぽんで「りゅうたん」である。ちなみに熊形は「熊趟(くまたん)」である。


 自分のメモを見ると「龍趟は指先を練る」と書いてある。これは先生のことばなのか自分で要約したのか忘れてしまったが、太我会での龍趟の要点として大事な要訣だと思う。


 以上は今月の初旬に書いた日記。書き上げる暇がなく、そのままになっていた。その後、四ヶ月に一度の長拳系の先生による講習会があり、一日かけてたっぷりと学んだ。


 内家拳が内にエネルギーを貯めていくような練功を中心にするのに対し、外家拳は発することに徹している。一日中発するのはとても疲れるが、言うに言われぬ爽快感がある。


 この先生の流派は、どの技も120%発するところが特徴だ。しかも全身をめいっぱい使う。用法を説明してもらって感じるのは、「実戦」というよりも「戦(いくさ)」「戦争」というイメージだ。拳法にしても武器にしても、突撃しながら行う。歩法は今まで習ったどの武術よりも荒々しく、本当の戦いとはいかなるものかを知ることができた。


 それは理屈よりもまず気迫と勢い、そしてそれについていく肉体を作り上げることが必須であることを感じさせる。火器が発達する以前の、刀槍を主武器として行われる戦争を彷彿させるのである。日中戦争国共内戦では刀槍を用いての集団戦も行われたという。50〜60年ほど前までは、生きていた技術なのだ。そんな生々しささえ感じる技だった。

 
 体調は一時よりもよくなったが、蕁麻疹が出たり、だるさが抜けなくて練習する気にならなかったりする日が多い。体重が増え気味なのも関係があるかもしれない。体調がよくないと練習する気も起きないので、ダイエットも考えないといけない。理想は4〜5kg減なのだが、なかなか減らないのである。