切磋琢磨

 走圏では、抱丹田ができていないということ、足の筋の働かせ方がまだ理解できていないという点を指摘されている。

 抱丹田とは、要するに気血が丹田に満ちてくること。自分の場合は足を強くすることに気をとられ、気血の充実がおろそかになっていたと思う。そして最近は、何より練習不足だ。

 メニューが多くなってきたこともあるが、長距離通勤に疲れてきたこと、走圏に飽きが出てきたこともあるかもしれない。正直いって、歩き始めるとすぐに嫌になってしまうのだ。

 この春、ずっと一緒に練習してきた仲間が仕事の都合で他の曜日に移った。遠藤先生によると、最近彼の進歩が著しく、丹田が充実してきたという。走圏で直すところがほとんどなくなったというのだ。

 それを聞いて焦った私は、最近少しだけ走圏に力を入れだした。やはり切磋琢磨というものは大切である。「これはヤバイ」と思わせてくれるライバルがいることは、とても刺激になるものである。

 足の筋に働かせ方については、大力在腿という口訣について考え方がまちがっていたのではないか、と最近思い始めた。ただ力を入れればいいと思っていたが、それでは地面と反発して浮いてしまう恐れがある。

 大力在腿、抓地といった口訣は、実は「沈」ということと大きな関係があるのではないか・・・・・そう思い始めて模索していたところ、先週の教室で先生からこのテーマで解説を受けた。

 先生に質問したところ、やはり私の考えで正しいようであった。これで走圏のやり方もかなり変わることになる。外見からはわからないが、意識はがらっと変えなければならない。

 掌法の方は、長拳系や武器の合間を縫って、少しずつ教えてもらっている。先生はあまり興味がないようだが、せっかくなのでお願いして学んでいる。揺身掌、磨身掌と学んだが、やはりよほどの功夫がないと使えない技が多い。

 揺身掌は、要するに反背捶の代わりに肘打ちを行う技。穿掌を打ちすかさず回転して肘を打ち込む。型としては、この後に探掌、穿掌、舗地龍なんかも出てくる。

 磨身掌は、円の外側へ扣歩し、片腕を高く上げ、もう一方の手を抱えるように腰にとって、くるくる回る。フラメンコみたいだ。その後、蓋掌、舗地龍、穿掌、液掌、獅子滾球と続く。相手に体をこすりつけるくらいの密着した距離で転身する技だが、はたして自分はこんな技を使えるようになるのだろうか。下手すると、中華フラメンコで終わる可能性を感じさせる技であった。

 こういう技を学ぶと、いかに功夫が大切か、穿掌、探掌、撞掌といった基本技に習熟することが大切か、よくわかる。套路は健康法としても優れたものだし、それ自体に大きな価値があると思う。別に「実戦」に使えなくてもよいと思うのだが、やはり武術に未練を残すものとして、いろいろ考えてしまうのであった。