クンバハカ 



 走圏ですが、最近はいきなりハードに歩かず、少しウォームアップを入れるようにしたらなかなか具合がいい。

 準備運動をするわけではなく、しばらく楽に歩いてみるのだ。楽に歩くといっても無自覚に歩くわけではなく、体重が一歩一歩きちんと足に乗っているか、とりあえずそれだけを注意して歩いてみる。

 すると足の裏がきちんと地面に接していなかったり、フラフラしたりするのがわかる。安定して、しっかり足裏全体が接地するように、ということをまず心がけてしばらく歩く。腕も自然に降ろしたまま。

 しばらく歩くと、片足ずつきちんと体重が乗っていくのがわかるようになる。そこでしだいに各種要求を盛り込んでゆく。

 今、大事にしているのは、まず腰の安定。次にこの足の安定。足の安定を得るには、上体、とくに肩の放鬆が重要だ。自分の場合はすぐに肩が力んでしまうので、このあたりを重点的に注意している。

 こうして足の安定から入ると、スムースによい走圏に入っていけるようになった。一歩一歩、足が釘になり、「沈」を感じることができる。何ともいえない充実感である。この感覚に至るまで10分はかかったのだが、最近はもっと早く到達できるようになってきた。

 「足にはいくら力を入れてもいい。ただし上体は放鬆するように」と教えられてきて、やたらと足に力を入れて走圏をしてきた。しかし、気血の養成を第一に考え、また足の安定を心がけて走圏するようになって、力の入れ方も変わってきた。

 力を入れるやり方は筋を作るのに有効な方法なのだが、入れすぎると地面から浮いてしまうように思う。カチカチになってしまうのだ。

 しかし、安定、沈身が達成できるようになると、沈んで重くなった体を支えるために、自然と足に力が入る。このあたりをうまく調和させると、「脚似釘」を達成しつつ、足に力が入るのである。「落地生根」という言葉があるけれども、多少そういう感覚が出てきたのである。「力を入れる」というより、「力が入る」という方がふさわしいかもしれない。

 「武術体操」に書いたのだが、丹田に関しても同じである。「下腹に力を込める」と昔からいわれているが、下腹には力を込めてはいけない。そんなことをしたら呼吸は止まってしまうし、頭に血が昇ってしまう。習慣化すれば鼠頸部ヘルニアになる危険性もある。

 そうではなくて、下腹には力がこもるのである。込めるではなくてこもる。気を丹田に沈めると、自然に下腹部が充実し、力がこもるのである。

 中村天風はこれを「クンバハカ」と呼んだ。気沈丹田=クンバハカは、東洋の身体文化の根幹ではないかと思う。クンバハカは非常に興味深くて重要だと思うので、いずれもっと詳しく考えてみたいと思っている。