八卦掌で汗だらけ  



 になる季節がやってきた。

 今晩もパンツ一枚で走圏して、全身汗まみれ。パンツも濡れました。爽快です。

 八卦掌を始める前の五、六年間、先生につかないで自己流で練習していた。それまで習ったものを、運動不足解消のため気の向くままにやっていたのである。動く気がしないときでもとにかく裏の神社に行って、軽く木刀を振ったりすることから始め、とにかく体の求めるままにやりたい練習をしていた。

 体が重いときでも、そうやって運動しているとしだいに体がほぐれて元気が出て、思わぬ激しい練習をしたものだった。とにかく無理をしないで、やりたいようにやる練習は気持ちがよく、楽しかった。

 練習する習慣ができてくると、しだいに欲が出て練習した技の回数を数えたり、時間を決めたりするようになった。そしてノルマをこなすことが目的になり、いつの間にか練習がつらくなってくるわけである。

 馬貴派の八卦掌は走圏が非常に重要視される。ふだんの教室でも、最初の一時間は走圏だ。入門して二か月は走圏しか教えてもらえなかったから、二時間ずっと走圏をしていた。しだいに思考力がなくなって、頭の中はホワイトノイズに占領されてしまったものだった。

 毎日練習するようにしているが、きつくてやりたくない日がある。最近、「趣味でやってるのに何でこんなに苦しまなくてはならないのか」と思うようになって、何とか楽しくできないものかと考えていた。

 前回の講習会で「開掌」なるものを習った。腕を回しながら走圏を行うものである。

 熊形走圏を行っていると、気が停滞してしまって歩いていても気分が滅入ってくることがある。こうなると、熊形走圏が大事なものだとわかっていてもやる気がなくなってくる。走圏自体も活力を失った、死んだものになっていると思う。

 今日もそうなりかけたのだが、なんとなく開掌をやってみた。習ったときはけっこう速いスピードで歩き、腕も速く回していたのだが、今日はゆっくり沈めながら、腕もそれに合わせてゆっくり回した。すると丹田に気が沈み、より自然で重みのある走圏ができた。

 しばらく開掌を行いながら歩いて、自然に腕を止めると龍形になっている。そこで龍形のまま何分か歩き、気が向いたらまた熊形に戻す。

 すると、あれだけ固まって死んだような状態だった熊形が、何だか伸びやかに、しっかりと沈んで、歩いていても気持ちがいいのだ。動かしてみることも大事なんだな、と感じた。それに、開掌を習ったタイミングも絶妙だったな、と思った。これは最初に習ってもかえって気が浮いて、逆効果かもしれない。

 というわけで、来月にはまた李先生の講習会が始まる。そろそろ心身、そして時間や経済的にも準備をしておかないとな。