地力と技術

 走圏を二年あまり練習してきて、足には筋肉がついてきた。以前、馬歩や三体式を練習していたときは太腿ばかり太くなったが、今は足全体が鍛えられてきた感じがする。足の裏(足底筋)が少し厚くなり、足首周りの靱帯も少々発達した。ふくらはぎ、太腿の裏側も筋肉がついた。

 しかし、最初に何度も注意された含胸や収肛がしだいにおろそかになっていた事も判明。歩き方ばかりに気をとられ、基本姿勢がいい加減になっていたのだ。

 含胸にはいろいろな深い意味と効果がある。だが、その片鱗が見えてきただけで、なかなか身についてこない。最近痛感していることは、もっと練習の質と量を上げないと、ものにはならないということだ。

 私が八光流大東流を経験して痛感したのは、地力の大切さ。多少のテクニックは、地力の強い人には通用しないのだ。地力を養成しながら、それを活かした繊細なテクニックを身につけていかなければ高いレベルには達することができない。

 地力というのは「功力」であり、技術と組み合わさることで「功夫」となる。拙力、蛮力にならないよう地力と技術をうまく組み合わせていく。ここに武術修練のむずかしさがある。

 私が練習している八卦掌の場合、走圏で功力を練る。それはすなわち、筋(スジ)を発達させ、気血を養い、沈身の功を積むことである。

 そうした伝統的な鍛錬は確かに効果があると思うが、ウェイトトレーニング、サンドバッグ、組手で強くなった人たちより楽かといえばそんなことはなく、やはり同等以上の苦労が必要なのは当然だ。強さは流した汗の量で決まるのだ。

 最近は悩みが多く、精神が安定しないので練習も質が伴わない。だが、かといって練習しなければ余計に精神的に参ってしまう。八卦掌がバランスをとってくれているのだ。

 あまり高望みせず、なんとかしがみついて練習していきたいと思う。