あ〜づかれた。寝不足で稽古は疲れるな。

 今日は練習の日でした。やはり教室の稽古には場の力があるのか、一人の練習ではできないくらい、追い込んだ練習ができる。全力の走圏を一時間やるなんて、一人では無理だ。一人なら、全開でやれば30歩ごとに休憩だ。今日はTシャツを絞ればしたたるほど汗をかいた。

 学生の頃、われわれ早大中国武術研究会は演劇博物館の横で練習していた。演博の裏は土がむき出しになっている静かな空間で、そこでは早大極真会の連中がよく"這”を練習していた。

 われわれの走圏は、大気拳の這に似ているかもしれない。腰を落とし、ゆっくり、静かに歩く。一般の八卦掌のような流麗なイメージはない。ある人は「畑から抜いてきたばかりの大根」だと形容していたな。

 走圏は下盤を鍛えるが、第一義は気血の養成なのだそうだ。そういわれてもなかなかピンと来ないが、練習を続けていればわかって来るという。八卦の発力は身体の細かい使い方などよりも、気血で打つというのだ。

 まださっぱり実感がないが、何度も実演してもらった発力を見ていると、信じざるを得ない。私も何年も武術のまねごとをしてきたので、フォームのマネはできる。八卦の発力はそう高度な身法を使うわけではないので、フォームそのものは習得しやすいのだ。問題は中身だ。

 この八卦の特徴は、中身の作り方、練り方が伝わっていて、きちんと教え、練習させる点だ。中身を練るために延々と走圏を行う。私の練習は今のところ、70%から80%が走圏だ。忙しい日は走圏しかやらないこともある。

 今日は撞掌という発力の練習を習ったが、これも走圏の応用だった。走圏で下盤、中盤を練り上げ、気血が充満していなければ打っても威力が出ないのだ。

 これまで、練習といえば技の練習、動きの練習だった。しかし、技を上達し、技の威力を得るためには、それでは足りないという。このあたりが自分のそれまでの常識と違う点だ。

 招法に関しては、やはり八卦のルーツは劈掛掌だという思いが強くなっている。撞掌だって、劈掛の技ではなかろうか。先に入門した人たちを見ていると、劈掌から掛掌のコンビネーションも習っていたぞ。

 招法もだんだん増えてきて、練習が大変になってきた。いくら走圏が大事だと言っても、習った技を全然やらないわけにはいかないからな。

 さて、台湾にメールを書いて寝るか。