八卦を始めて感じたのは、「技は力の中にあり」ということ。誤解されそうだが、ちょっと書いてみよう。

 発勁化勁といってもしょせん人間の体がやること、つまり筋肉がそれを行っているわけである。だから、同じように発勁を習って同じように練習したら、発勁に必要な筋肉が発達している方が強いに決まっているのだ。幼稚園児がいくら全身を協調させて動くことができても、威力はたかがしれている。やはり体を作らねばならないのだ。

 八卦の先生は、体がすごいのだ。足を見せてもらったが、太ももの筋肉が膝の周辺まで盛り上がって、膝蓋骨を覆い隠さんばかりである。スネの筋肉も盛り上がって、向こうずねよりも前へ出ている。ふくらはぎもすごい盛り上がり方だし、アキレス腱が太い。

 いちばん驚いたのが、腰の筋肉。背骨の両側の筋肉が、めちゃめちゃ太いのだ。片方がそろばん一本分くらいある。羊羹二本というべきか。さらに脇腹、腹も発達していて、一見すると腹が出ているように見えるが、触ると固いのだ。気血が充実しているというが、腹、腰回りの筋肉の充実がすごいのである。きっと大腰筋や腸骨筋も普通の人の三倍以上あるのだろう。

 筋肉が発達しているといっても、いわゆるボディビルダーのような体ではない。外見はなんだか腹の出たおじさんだな、という感じ。しかし充実度が違う。足腰、背筋もすごい。また正確には、発達させるのは筋肉よりも腱だ、ともいう。

 しかもこの筋肉は、すべて走圏で作ったものだという。ものを持つわけでもなく、大桿子や大刀を使うわけでもなく、素手で走圏を行うだけでこうなったというのだ。

 もちろん練習したからだが、それだけではなく、正しい姿勢、動作で行えば、腎の働きで体がこうした発達のしかたをするという。内家拳の練習が正しいかどうかは、その人の体を見ればわかるというのだ。

 そういえば楊澄甫をはじめ、太極や形意の人は腹まわりの異様にでかい人が多い。肖像画で見る董海川も、胴が異様に太い。昔取材した李子鳴老師も、腹まわりが異様にでかかった。ああいう体型は日本人にはいないから、食べ物が悪いのか、などと思ったりしたものだったが、あれは功夫の証だったのか。

 こうした功夫の体をいかに作るか。八卦の場合、正しい姿勢、動作で走圏を繰り返すだけのようである。「正しい」という点がポイントであって、正しい姿勢をとることにより腎が働き、練習の効果が高まるというのである。

 ただ、「正しい」といっても簡単ではなく、練習を始めて1年半たった今でも正しい姿勢はとれない。直されっぱなしである。ということは、一回や二回習っただけでは身につくものではなく、何年も教えを受けなければ本当の功夫はつかない、ということでもある。

 佐川幸義先生も、鍛練の重要性を繰り返し語っておられた。合気に気がついても、鍛練しなければ強い相手にはかからない、といった意味のこともおっしゃった。功夫も合気も魔法ではないのである。地道な努力を何年も、しかも正しい方法で行う。私のように一日30分の練習ではとても功夫は身につきそうにないが、健康になり、体力がついたのは確かである。