先日ナンバ本の締切を終えた翌日、森田療法・生活の発見会の多摩集談会に呼ばれて話をした。その帰り道、「ああ、もう自分は治療目的で発見会に行く必要はないな」と感じた。一つの峠を越えたようである。

 そうはいっても、今日は朝からダラダラしてやるべきことが全然できなかった。これではまずい、また元のペースに戻ってしまう、と思っていたら急遽打ち合わせに来いという電話。あわてて仕事を片づけ、出かける。仕事仲間に会うと、元気が出てくる。ひとりだとなかなかペースをつかめないんだな。

 休息がなくても壊れてしまうし、刺激がなくても腐ってしまう。このバランスが人生なんだろうな。いい年こいて、まだそのバランスがうまく行かない。どうも自分は、大きな設計図を描きすぎる傾向があるようだ。でかすぎて、45になっても全体像が見えない。ピラミッドも底辺を大きくすると、なかなか高くならない。そんな感じである。

 設計図といえば、今やっている八卦掌もそうだ。本当に基礎からていねいにやれば、こんなに大変なものだったのだ。体力的にではなくやるべきこと、身につけることが多すぎ、レベルが高すぎて、先が全然見えない。設計図が壮大すぎて、生きているうちに完成できるかどうかわからないのである。
 まあ、それだからおもしろいし、やりがいがあるとも言えるのだが。こういう態度は人生そのものにも現れているようで、だから苦労するんだな、とようやく気づきつつある最近である。