集会が四時半に終わったので、帰りは下高井戸で下車。仕事は忙しいが、お念仏がしたい。本應寺へ。

 最初は住職、副住職、アサコさんしかおらず寂しい勤行だったが、途中で人が増えてきた。スタッフのみなさんは誰かの家へ引っ越しの手伝いに行っており、勤行途中に帰ってきたのである。お念仏の声がだんだん大きくなって迫力が出てくるのはなかなかいいものである。

 気持ちよく迎えてくれる住職のおかげもあるが、合宿以来、念仏が好きになってきたようだ。どうもお念仏の先にあるものにつながりかけてきたようである。心が明るくなるし、楽しくなる。森田正馬も、念仏は信じてから称えるのではなく、称えているうちに信仰心が湧いていくる、といった意味のことを書いていた。確かにそれは事実だと思う。