ミット持ち職人の心

 先日、研心会館館長の横山和正師範が帰国され、何度かお話をうかがう機会があった。今回は私が仲介役となって和道会の柳川昌弘先生との対談が実現した(その模様は十一月発売の秘伝に掲載される予定)。横山師範と遠藤先生の会見も実現したので、次回帰国された際には、正式な対談が行われると思う。

 今回も横山師範には多くの興味深いお話を聞くことができたが、印象に残った話題の一つにミット打ちがある。

 横山師範は、相手の体に浸透するいい突きを身につけるには、巻き藁やサンドバッグよりもミット打ちがいいという。ボクシングで使う、パンチ練習用のミットである。

 持ち手がうまく導くと、短期間で浸透力のあるよい突きを身につけられるという。しかし、持ち手の方がその突きを身につけており、導き方を知っているという前提が必要なのだが。

 数日前、仲間と久しぶりに合気系の技を練習した。そして、このミット打ちのことを思い出した。

 合気系の技は、肩関節を固めず、体の中心から出る力を手先に集中させなければならない。ところが最初からそんなことはできないし、とりあえず相手に技をかける必要がある。手っ取り早いのは力で倒してしまうことなので、ついつい肩に力が入ってしまうのだ。

 相対練習が中心の武道はここが落とし穴で、競争意識が働いてついつい結果を出すことに気を取られ、なかなか力の運用の研究にまで至らない。多くの人はそのまま技も体も、考え方までも固まってしまうのである。

 相対練習には、ミットを持って相手を導く気持ちが必要だな、と思う。技をかける側が力みすぎないよう、正しい力の使い方を悟れるよう、うまく技にかかってやる必要があると思うのだ。

 もちろん、ただかかってあげるだけでなく、強い力で押さえ込まれたら簡単に動けないこと、それでも技で返していくだけの工夫と鍛錬が必要なことも、稽古の中で伝えていく必要がある。

 私が稽古で出会った人の中には、相手をねじ伏せ、ひねりあげ、悲鳴を上げさせないと気がすまない人も時々いた。他の人の名前は忘れても、そういう人の名前はいつまでも忘れないから不思議である。

 そういう人に無防備に技をかけさせるわけにはいかないから、こちらも体を固めてかけさせまいとする。すると相手はムキになってさらに力を入れてくる。こんな奴を簡単に吹っ飛ばせるようになりたい、と思うのだが、そうもいかないのが実状だ。

 散手(組手)をやっていても、事情は同じだな、と思う。とくに素手素面の散手は、信頼関係がないと思い切った技を試みることは難しい。うまくいけば、多くのことが学べる非常に有意義な練習なのだが。

 ミット持ち職人の心。武術は一人では強くなれないので、この心構えは重要だな、と思った。