走圏への信頼



 今回、李明貴先生に学んで得たこと。それは、走圏に対する信頼感だったような気がする。

 馬貴派の走圏は真面目にやると五分ももたないほど苦しく、30分、一時間と続けるときは恐怖心が先に立って思い切りできなかった。

 事実、教室に通い始めた頃は熊形走圏を二時間、加減を知らないから思い切りやっていた。すると帰りの電車で降りる駅をまちがえたり、忘れ物をしたりで、消耗しすぎることに恐怖心を抱いてしまったのだった。

 しかし、李先生の練習会は有無を言わせぬ迫力で全力の走圏をさせられてしまう。連続一時間の熊形、五分ほど休憩して40分あまり連続して低架の単換掌、最後に10分ほど龍形。こんな感じの練習が続いたのだった。

 こんな運動をしたら絶対にフラフラになって、二、三日動けなくなる……というくらいやったのだが、不思議なことに終わってもそれほど疲れておらず、翌日にも残らないのだ。それどころか、異様に爽やかな目覚めだったりする。

 今回の李先生は、「精気神」という言葉をよく使ったが、本当にこうしたエネルギー変換が起きているのかもしれない。47歳にしてこれだけ運動したら、ふつうはまずこんなダメージではすまないだろう、そう確信した。

 東大大学院教授の小林寛道先生はスポーツ科学の権威にして合気道・気功の名人である。小林先生は「運動には、やればやるほど消耗するものと、元気になるものがある」とおっしゃっていた。今回の体験から、馬貴派の走圏は後者の要素を持っていると実感できたのである。

 走圏に対する信頼感を得た、というのはそういう意味だ。思い切り練習しても大丈夫。それどころか、かえって元気になる。調子が悪くても、思い切って走圏をすれば治ってしまう。

 今回は何度かそういう体験をさせてもらった。

 思うに、「教える」「伝える」とは、こういうことじゃないだろうか。技を教えるだけでなく、生徒をひっぱり、鍛え、自分一人では辿り着けない境地を体験させる。

 よほどの天才にして努力家ならともかく、私のような凡人は李先生や遠藤先生にこうして引っ張り上げてもらわないと、とても走圏の意味、効果は理解できなかっただろう。

 というわけで、私としては幸運にも出会うことができたこの馬貴八卦掌に、何とかしがみついていきたいと思うのである。