苦練と中庸 



 教室では最近、熊形撞掌の復習をしている。馬歩の姿勢で踏み込みながら両掌を打ち出す技である。



 以前習ったときはよくわからなかったが、今回は近くでよく見ることができ、また先生が力の出し方を解説しながら何度も実演してくれたので、今までわからなかった部分が見えた。



 この技は、とにかく足腰がキツイ。二、三回で消耗してしまう。走圏である程度鍛錬しているわけだが、低い姿勢で力をためて打ち出すのは、さらなる鍛錬が必要だということを痛感させてくれる。



 先週の教室では、この技で蓄勢になるときの動きで、相手を引き崩す方法を教わった。技をかけて頂いたが、予想外の方向に引かれたので首に来た。恐ろしい技だと思った。帯手などの引き技は打撃技と表裏になっているので、発力の面でも用法の面でも興味深いものがある。



 走圏は、また自分の考え違いに気づかされた。「上半身は放鬆し、足はいくら力を入れても良い」「何十分もできるような走圏は効果的なやり方とはいえない。正しい走圏は五分くらいしかできない。五分間一生懸命やったらしばらく休み、また五分間走圏をする。その繰り返しのほうが効果が高い」・・・



 そう言われて、とにかくハードにやるのがよいのだと思いこんで走圏していた。その結果、片側を50歩も歩けばフラフラになり、しばらく次ができない。肩には力が入る。さらには、練習するのがいやになってくる。



 これではいけないようなのである。肩に力が入るようでは、足の力が過剰なのである。これは以前から言われていたのだが、「足に力を入れる」ということも強調されていたので、ついついそうなってしまったのだった。



 しかし、最近の走圏はしばらくはそれ以上なにもする気が起きないほどハードなものになっていたので、考えてみればそれでは気血を養うどころではないのだった。



 というわけで、先週から走圏はもう少しリラックスしたものにしている。そうすると、これまでの倍の歩数を歩いてもまだ龍形や単換掌を練習する余力が残っている。練習する前に感じていたプレッシャーもなくなった。



 苦練も大事だが、苦しすぎるのも考えものだ。練習するのがいやになってくるのだ。これを無理してやるのは、よくないことだと思う。抑圧もひとつのエネルギーだから、必ず何かの形で噴出するからだ。



 バランス、中庸ということが大切なのだが、どういう状態を中庸というのか、それをつかむのも簡単ではないな。