気血の充実 



 さて、昨日も練習に行ってきた。やっぱり走圏と単換掌だけだ。

 今回も李先生の来日講習会でしごかれたおかげで、少しはレベルアップしたと思う。ひとつには、単換掌をいろいろな角度から学んだおかげで、理解が深まった。扣歩、擺歩の使い方、意味、細かい注意点。個人的にも単換掌の復習の時期に当たっていたので、ちょうどよかった。

 もうひとつは、走圏。李先生が来日する前は前も書いたように走圏がかなり崩れていたのだが、この時期にまとめて練習できたのでかなりよくなったと思う。

 最近注意しているのは、姿勢を低くしすぎないこと。長く「低いことがよい」と思って練習してきたので、走圏でも思わず低くなってしまう。要訣が守られていればそれでいいのだが、私の場合は低すぎることでバランスを崩していたのだ。二年半練習して、やっとそれに気づいた。

 これまでは低くして足を鍛えようという意識が強かった。そして同時に、「正しい形」を求める意識が強すぎて、いつも姿勢を微妙に調整してしまっていた。この二つが走圏の進歩を妨げていたのだ。

 先生が「Oさんは武術をやったことがないので技撃のことは全然知らないが、その分いわれたことを素直に練習しているので気血の充実がとにかくすごい」と教えてくれた。要するに私は素直ではないから、見習いなさいという意味があったのだろう。

 教室が違うので拝見する機会がなかったのだが、先日の合同講習会の打ち上げで拝見することができた。

 確かに、走圏の姿勢をとると丹田、腰回りの充実がすごい。自分は毎日練習しているのにもかかわらず、外見に現れるほど充実はしてこないのである。

 そこで反省して、「気血の充実」をメインテーマに走圏を練習することにしたのである。そしてこれまで何度注意されても直らなかった姿勢の安定、腰を動かさずに歩くことにさらに注力した。

 先週の教室で前半の走圏を終え、後半の単換掌の練習に入ったとき、すごく調子がよくなった。エネルギーが湧いてくる感じで、精神的にもやる気まんまんなのである。これが気血の効果か、と思った。

 もちろん正確な単換掌を繰り返すと消耗するのだが、それでも体中がエネルギーに満たされる感じなのである。それはこれまで感じたことのない感覚だった。いや、正確に言うと練習後にある程度は感じたことはあった。だが、練習中にここまで力にあふれる感覚は味わったことがなかったのだ。

 これは、李先生の練習会でしごかれたこと、走圏を練る際の意識が変わったこと、この日遠藤先生にじっくり走圏を指導してもらい、長時間歩いたことが重なって起きたことだと思う。

 この経験によって、これまではただ話に聞くだけだった「気血を養う」という言葉が急に現実味を帯びてきた。なるほど、気血を養えばこんなにも効果があるのか、そう感じた。馬貴派八卦掌では気血を養うことを第一義とする。そして筋を鍛えること。この二つを練功の中心に置き、掌法は二の次なのである。その理由が少し具体的に感じられた。

 だが、これはかんたんではない。気血を実感するまでに、一時間は苦しい走圏を続けなければならない。日常の練習で自分をここまで追い込むことは、なかなかできないのである。苦しい、もうやめたいという状態を数十分続け、やっとその感覚が出てくるのだ。李先生はよい状態になるまでは走圏を二時間続ける必要がある、と語っていた。

 馬貴派の姿勢は、かなり特殊である。最初は異様にも思う。だがこの姿勢が秘めている効果の奥深さを体験するにつけ、武術に対する常識がどんどん変わってくるから不思議である。そのあたりのことはもっと書きたいのだが、まだ自分では体現できないし、書いても理解してもらえないだろうと思う。長い武術経験を持ち、馬貴派に触れたことのある人たちでさえ、ほとんどの場合全然理解できないのを見てきたからだ。

 人は何かを理解しようとする時、みな自分の経験をもとに判断しようとする。そして、それまでに見たことも聞いたことも、体験したこともないものについても、同じように自分の枠でくくろうとする。自分の得意分野、専門分野であるほど、その傾向は強くなる。自分のまったく知らないことなんてあるはずがない、無意識にそう決めてしまうのだ。

 もちろん私にもその傾向はあって、その為に初心者ができることができずに二年以上も苦労してきた。素直になること。白紙になること。それがどれだけむずかしいか、八卦掌の練習で日々実感しているのである。