"Concert For George"で感じた歳月
インターネット・ラジオの"Beatles-A-RAMA!!!"を聞いていたら、"While My guitar Gently Weeps"が流れてきた。イントロはオフィシャルバージョンそっくりだが、音質がちと違う。ボーカルが始まると、歌っているのはエリック・クラプトンだった。"Concert For George"で演奏されたものだ。
"Concert For George"は2001年にガンで死んだジョージ・ハリソンの追悼コンサートだ。"While My guitar Gently Weeps"には、クラプトンのほかポール・マッカートニー、リンゴ・スター、ビリー・プレストンが参加している。
クラプトンは、ホワイト・アルバムで弾いたのとほとんど同じようにリードギターを弾いている。いや、あの演奏よりもよりギターが泣いているかも知れない。涙なしには聞けない演奏だ。曲を作った本人がいないのだ。演奏がすばらしいだけに、欠落感が際だってしまう。
ビートルズを聴いていると、時代の流れをひしひしと感じる。私がファンになったのは解散ブームの頃だった。70年代の始めである。もう30年以上も前だ。
自分としてはそのころと変わっていない気がするのだが、年月は情け容赦なく流れているようだ。最近は自分の年齢にとまどっている始末だ。
42歳くらいまでは、なんとなくまだ青年のようなつもりでいた。43歳になったとき、「これはシャレにならん年齢だな」と思った。それが、今や46だ。50まですぐじゃないか。
私には10歳くらい年が上の友人が何人かいる。いずれも10年以上のつきあいだ。彼らはもう老眼鏡なしでは新聞も読めないし、悪いが「初老」って感じの外見である。
初老のおじさんなんて、ちょっと前までは自分とは全然関係のない、別の人種だという感じがあった。だが。
10年なんてすぐだ。自分もああなるのだ。死については考えたことがあったが、老いることについてはあまり考えてなかったな。
これからどのように老いていくか。どのように老いた自分を受け入れ、どのように生きていくか。老け込むという意味ではなくて、覚悟とシミュレーションをしなければいけないな、と思うのである。
ま、こういうことは今まで多くの人が書いてたよな。いよいよ自分の番が回ってきた、ということだ。