先週の月曜から木曜の朝まで、下高井戸の本應寺に泊めてもらって仕事に行った。朝六時に起きて勤行に参加し、朝ご飯をいただいて仕事に出かける。本当は掃除をしてから朝食なのだが。

 本應寺の表にある栖岸院は由緒ある古刹で、なんと鎌倉時代の観音像がある。朝の勤行はその観音像が安置してある栖岸院の観音堂で行われる。夕の勤行はパターンが決まっているが、朝の勤行は毎日違っていて興味深かった。読むお経が毎朝変わるのだ。

 規則正しい生活で、精神的には調子がよくなった。仕事は事務所で他の人と一緒にやるので、眠かろうがだるかろうが否応なくやらなければならない。残業してもせいぜい七時前には仕事を終えて帰らなければいけない。自宅で一人で仕事をしていると、勤め人にとっては当たり前のことができないのである。

 フリーの方が自由でいいじゃないか、と思うかもしれない。しかし、私にとってはそうでもない。

 森田正馬は、「気分本位」ということばを使った。つらい、苦しい、やる気がしないといった「気分」を、本来やるべき目的よりも優先することである。そして、森田療法では「気分本位」に行動することが神経症への道である、と説く。

 神経症の場合、身体的には問題はないのにさまざまな症状が発生する。人によっては動悸が以上に昂進し、呼吸が困難となり、死の恐怖を味わう。頭痛、胃腸の不快感、抑うつなどはよくあるケースだ。そうした、もともとは誰にでもあるささいな不調に注意を集中するうちに、身体も呼応してますます症状がひどくなるのだ。それを「精神交互作用」という。そうして通常の生活ができなくなれば、立派な神経症患者の誕生である。

 というわけで、私のような人間はフリーで仕事をするのは向いていないことが改めてわかった。自分の理想や欲、プライドと、能力、現実をどうバランスを取るか。いくつになってもむずかしい問題である。