沈黙道場のレポートを書いてしまおう。

 この道場は、浄土宗本應寺(東京杉並区下高井戸)の随誉品愚(ずいよ・ぼんぐ)上人によって栃木県の山中にある愚静庵にて、11月21日から27日の間に行われた。

 一週間、断食・沈黙を守り、念仏と瞑想を中心とした勤行だけの生活を送る。食事は20日の朝から食べないようにとの指示があり、20日四時に本應寺に集合。私は仕事が終わらず、一時間半も遅刻してしまった。

 食事は完全に断つわけではなく、一日に三回、人参とリンゴをジューサーにかけたジュースをコップ一杯飲む。そして25日の昼より、重湯から始めて少しずつ復食を行う。27日の土曜は昼前に道場を立つ。

 一日のスケジュール;
 起床 6:00
 朝の勤行 6:30〜8:00
 朝食 8:00〜9:00
 勤行 9:30〜12:30
 昼食 12:30〜1:30
 勤行 1:30〜3:00
 法話 3:00〜4:00
 休憩 4:00〜4:30
 勤行 4:30〜6:00
 夕食 6:00〜7:00
 夕の勤行 7:00〜8:30
 消灯 11:00

 こうして計算してみると、勤行は一日九時間。法話も入れると10時間座っていなければならない。勤行は、朝と夕に各種のお経を読むほかは、お念仏と座禅を交互に繰り返す。それぞれ45分、原則として座り方はお念仏は正座、座禅は結跏趺坐もしくは半跏趺坐である。

 私は締切のために2週間ほど極端に不規則で睡眠不足の状態が続いていた上、前の晩からほとんど寝ずに夕方まで仕事をして道場に行ったため、最初の二日間は座っているのも辛かった。一週間あるので、無理せずに膝を立てて座ったりして、体調が戻るのを待った。
 品愚上人はまったく抑圧的なところがない方なので、参加者もリラックスして参加できる。よけいな形式主義や緊張感はなく、その点は大いに助かる。

 お念仏も座禅も最初の三日間はうまく行かなかった。声は出ないし、雑念ばかり湧く。呼吸法に注意する気力も湧かなかった。

 三日目の夕方くらいから呼吸法に注意する余裕が出てきた。お念仏の時は、大きく息を吸い込んで、連続して「南無阿弥陀仏」を唱える。調子がよければ8〜10回くらい唱えられる。座禅の時は本で読んだ数息観(すそくかん)を行った。ゆっくりと腹式呼吸をし、「ひい、ふう、みい」と10まで数え、また「ひい」に戻るやり方である。

 このやり方をしてから、次第に雑念が減って座っているのが楽になった。また、行が終わってからも呼吸を深く、ゆっくりできるようになった。呼吸と意識の結びつきの深さを身をもって知るいい機会になった。

 断食を始めてから毎日1kgのペースで体重が落ち、4.5kgほど落ちたところで止まった。三日目くらいから体が冷えるようになり、服を一枚増やさなければならなかった。復食を始めるとまた服を減らすことができた。

 四日目くらいから感覚が非常に微細になり、太極拳のようなゆっくりした武術をやるとこれまで経験したことのない繊細な練習ができた。全身のつながりを感じながらゆっくりと動くことができ、非常に心地よかった。八卦掌の走圏は食べていないせいか深くまでやりこむことができなかった。練習する時間がほとんどないので、細切れに少しずつ行った。

 今回の行での一番いい体験は、25日木曜日の午前9時からの勤行で訪れた。このとき、外なる如来と内なる菩薩の光を体験することができた。これまで行ってきた瞑想の探求が、お念仏という形で結晶したような体験だった。

 場所もよかった。愚静庵は行き止まりの山道の奥にあり、新聞、テレビ、もちろんインターネットもなく、ケータイも通じない。そばには上流に人家のない清流が流れており、せせらぎが常に聞こえている。薪ストーブを焚くと、紫の煙が紅葉した山をバックに流れていく。そんな環境で一週間の行をさせていただいた。

 品愚上人が本應寺で行っているのは、形式化しない本当の仏教だと思う。念仏とは実に純粋で直接的な、日本仏教の誇りともいえる道である、と今回感じ入った。
 実に貴重な体験であった。

 南無阿弥陀仏