先日、稽古仲間と話していて気づいたことがあった。それは、今当たり前になっている中国武術の姿が、実は割と最近できたものである、ということを意外とみんな知らないことだ。

 たとえば、最近までほとんどの武術に套路がなかった、という話には「えーっ」と驚いた人が多かった。

 例を挙げると、「武当剣」という剣術の有名な套路がある。対練套路もあって、実に優美だ。この武当剣も、最近まで套路がなかった。武当剣の表演では李徳芳が有名だが、これは彼女の祖父で有名な武術家、李天驥が編纂した套路のようである。李天驥は軍閥の将軍で剣術の名手でもあった李景林から武当剣を学んだのだが、当時は散練しかなかったという。

 散練とは技をバラバラに練習すること。つまり本来の武当剣とは、有効な技がいくつもあるだけで、套路はなかったのだ。李天驥はそれらの技を組み合わせ、套路にしたわけである。

 通背拳や螳螂拳も近代まで套路が存在しなかったようで、他の門派の影響を受けて少しずつ套路が増えていったようである。もともとは、ボクシングやフルコン空手のように、せいぜい二つか三つの技からなるコンビネーションがいくつかあっただけだった。それがしだいに套路に発展していったのである。

 最近になって普及したものといえば、おそらく站椿もそうだ。今では太極拳の人も昔からあったような顔をして站椿をしているが、元はといえば站椿は形意拳の秘伝だった。それが広まって多くの門派が取り入れるようになったのである。

 しかもその形意拳も、三体式の站椿は片方しかやらなかったようである。陸瑶さんから聞いたのだが、彼女の師の駱大成は左足前の三体式しか練習せず、教えなかったそうだ。要するに使う側、得意な側しか練習しないわけである。崩拳も伝統的なものは左足前しか練習しない。

 考えてみればボクシングだってオーソドックスかサウスポーのどちらかの構えしか練習しないし、ゴルフや野球だって原則的に利き手側だけである。李書文も大槍をいつも利き手で操っていたため、右腕だけが異常に太かったという。

 そう考えれば、左右均等にすべての動作を練習する八卦掌は、極めて近代的な武術だということになる。馬伝旭氏は大槍も左右両方で操っていた。そうなると、あの大きな八卦刀も左右両手で練習するのだろうか。健康にはよさそうである。