先日のウンコまみれの夢について。
 今朝、裏の神社で練習した後シャワーを浴びていたら、なんとなく解釈ができた。

 夢というのは顕在意識の届かない、水面下の意識から出てくる。だから、ウンコが出てきてもそれはそのままウンコを意味するのではない。何か他に言いたいことがあるのだが、はっきり言えないので別の形を取って表現しているわけである。

 ウンコとは、避けたいもの、汚らわしいもの。それが顔についたり、ましてや口に入ったりするのは最も避けたい事態である。私にとってもこんな強烈な夢は初めてで、かなり印象に残った。

 寝起きで練習し、しかも丹田に集中するような練習をしているので意識が多少変わっていたところへ、風呂に入ったために抑制が取れて夢の解釈が浮かんだのではないかと思う。仕事をしているときのような日常の意識では、夢を思い出したり解釈したりすることはできないのだ。

 ウンコが象徴する汚らわしいもの、避けたいものとは何か。それはこの十年自分にとってのテーマである「現実社会をどう生きていくか」、端的に言えば「金をどう稼ぐか」という問題に尽きるような気がする。

 私の場合は幸運にも好きな仕事をして生きて来ることができた。編集の仕事がしたかったし、中国武術が好きだった。そんな自分が、中国武術の雑誌を作るという理想の仕事に就けたのだ。好きなことをして生きて来れたわけである。

 だが、オーバーワークで燃えつきうつ症となり、退職。そのうちに出版界はひどい不況となった。
 私は今でも燃えつきうつ症を引きずっており、仕事が苦しくてしかたがないときがある。こんな原稿ならいくらでも書けるのだが。

 自分の中に、やはりお金を汚いと思い、お金のために働くことを潔しとしない意識があると思う。また、苦労しなければお金は得られない、という思いこみもあるようだ。

 そんな思いこみは「糞でも食らえ」というのが、潜在意識のメッセージだと解釈した。ウンコは現実世界そのものであり、お金である。私の潜在意識はそれを顕在意識の顔に塗り、口に押し込んだ。

 きっと、顕在意識の私が思っているようには現実世界もお金も汚いものではなく、汚いと思っているだけなのだろう。

 現実を受け入れろ。そういうメッセージであると同時に、夢という潜在意識の世界では、私はすでにそれを口にまで入れてしまった、つまり受け入れてしまっているのだ。飲み込んではいないのだが。

 というわけで、ある種の閉塞状況にある私の生活も、何らかの変化が起こるのではないかと期待している次第である。