元同僚のM氏は、もう三年ほども戴氏心意拳を練習している。年に四度も中国へ行き、先生にマンツーマンで習っている。一週間ほどホテルに缶詰となり、先生を独占して一日中武術を練習するわけである。

 そこまでやったかいあって、あの精妙な武術をかなり深く身につけている。その戴氏拳について話を聞いていると、いろいろと勉強になる。

 先日驚いたのは、仕事のない日は一日何時間も練習する、という話である。朝二時間やり、夕方また1時間半ほど、夜もまた同じくらい。「よくそんなにできますね。疲れませんか」と聞くと、疲れてはいけないのだという。先生は、「疲れたりがんばったりするような練習は、絶対にしてはいけない」というそうだ。

 それを聞いて、以前インタビューした陳式太極拳の馮志強氏の言葉を思い出した。「私にとって太極拳は休息である」。馮氏はそう言うのだ。

 戴氏心意拳は、山西省祁県の富豪、戴家に代々伝わってきた武術だ。私も行ったことがあるが、戴家の故居は実に立派な家だった。張芸謀監督の映画「紅夢(大紅燈籠高高掛)」の舞台となる家とまったく同じ作りなので、戴氏心意拳に興味のある方はこの映画をレンタルしてぜひ見てもらいたい。

 これを書いていて戴家の建築と映画「紅夢」のことを思い出してしまった。張芸謀の映画は山西省が舞台になっているものが多いようで、「秋菊の物語(秋菊打官司)」も山西省が舞台だった。余談だが、私は太原(山西省省都)でこの映画を見た。まさに地元で映画を見る不思議な感激があった。新作なのにノイズだらけの画面が印象に残っている。

 繰り返すが、「紅夢」の舞台に使われている家と、戴龍邦の家はまったく同じ作りである。戴家は母屋が崩れてしまっているが、「紅夢」の家は保存が良く、当時の面影をそのまま残している。「紅夢」は1920年代の話だそうだ。戴家は祁県の富豪であり、その家は当地の富豪の典型的なものだったという。戴家もきっと、「紅夢」に描かれるような封建的で閉鎖的な日常を送っていたものと思われる。

 戴家は何代も続いた富豪。あの隔離された屋敷の中で、気功と武術を融合させるべく、代々研究と練功を重ねてきたのだ。

「疲れたりがんばったりするような練習は、絶対にしてはいけない」という戴氏心意拳の特徴は、こうした戴家の人々の生活と関係があると思う。戴家の人々はいわば貴族であり、がむしゃらに強くなる必要はなかった。気功と融合した高度な武術を楽しみながら、悠々自適の生活を送っていたのだ。

 楊式太極拳も、清朝の貴族たちに愛好されたという。太極拳のルーツのひとつに戴氏心意拳が関係していると考えると、なかなか興味深いものがある。

 私自身は八卦を練習しているが、ときどき戴氏心意拳をうらやましいと感じることがある。何しろ練習していて疲れることがないというのだ。むしろ気持ちがよく、ますます元気になるという。

 私の練習している八卦は確かに健康に良く、元気が出るが、かなり疲れるのである。走圏だけなら後を引かない爽やかな疲れなのだが、ひとたび技の練習になるとそうもいかない。けっこう義務感を伴ったりするのである。

 しかし、これは一概にどちらがいいとは言えないのである。私自身は八卦のほうが自分に向いていると思う。八卦は体を鍛練し、作っていく。技の強さ、功力を求めるのである。その分どうしても負担が伴う。しかし、身体への負担は最小限ですむように考えられているし、なにより走圏によって腎を強化し、身体と健康を増強するという明らかな効果がある。

 戴氏心意拳は武術としても実に実戦的でとても貴族の拳法とは思えないのだが、やはり八卦のような職業武術家の拳とは違って決して無理をしないという点に特徴がある。自分としては八卦のように肉体を鍛え、変えていく武術に魅力を感じるのである。ただ、年齢的なものと仕事に追われて不規則な生活のせいで、少々無理を感じることがあるのも事実だ。

 できる限りハードに追求していきたいとは思うが、「八卦掌は休息である」という境地も多少は研究してみたいとも思っている。