先日八卦の走圏で気づきがあり、練習が精神的に楽になった。要するに脱力し、体を重く使う。このことを基準に走圏を練り、技を練っていけばいいのだと気づいたわけである。この基準となる部分を自分なりに設定できたので、精神的に楽になったのである。

 それまでは走圏をしていても迷いと悩みの連続だった。腰も上体もきまらず、試行錯誤しながら歩くので肉体だけでなく精神的に非常に疲れるのだ。しかし、基準ができたので自分なりに練習の方向性が決まった。

 それとともにわかってきたのは、こうした基準を満たした上で技法を行うということは、身体の使い方が根本から異なる、ということ。これまで25年間各種の中国武術を練習してきたが、放鬆のレベルが違うのでイチからやり直し、という感じなのである。

 腕を持ち上げるという動作ひとつ取っても、これまで以上に両肩を放鬆するため、全てのバランスが違ってくるのだ。スタートが違えば全てが違う。そのことを今痛感しているのである。

 スタートの部分ができればそれ以降の部分にこれまでの経験が応用できるだろう。しかし、根本の部分が違うというのは大変なことなのである。ここをうまく身につければ、これまでの技も根本から変わってくるということだ。

 話は変わるが、日本人にとって、今は中国武術を習うチャンスである。というのは、中国では今武術どころではないのだ。それなりに安定し、ほかに娯楽も乏しかった文革後の中国では、朝の公園は武術を練習する人でいっぱいだった。しかし、テレビが普及し、経済活動が活発になって社会が激変すると、人々は変化に付いていくのが精一杯で武術どころではないのである。大人は金儲け、学生は勉強やその他の娯楽に忙しいのだ。
 したがって、どの門派も極端な後継者不足で、失伝の危機を迎えている。一人っ子政策による少子化も手伝って、男の子のいない武術家も多く、いても武術を継承するほどに時間を割けないのが現状なのだ。

 また、武術家の世代交代も進み、考え方も変わってきた。以前なら考えられないような深い内容を、日本人にも教えるようになってきたのだ。以前なら表演すら見ることのできなかった戴氏心意拳も習えるようになったし、陳式太極拳なども存在すら知られていなかった基本を作る套路を学んだ日本人が出てきている。

 「失伝させるくらいなら」という思いもあるだろうし、武術が実戦の意味を持っていた時代の老師たちが世を去って世代が変わったこともあるだろう。とにかく、これから10〜15年くらいが、真伝を学ぶチャンスだと思うのである。できるだけいろいろな人が、色々な武術を日本に根付かせて欲しいと思う。