人生の二大テーマ



 1972年だったか。「燃えよ! ドラゴン」で興奮していた中二の私にクラスメートが「太極拳入門」をくれた。あれが私の人生を変える一冊になろうとは、本をくれた彼も知らない事実だろう。

 思えば、私の人生で「知りたい」と思って真剣に追求したテーマのひとつが、武術だった。人間の体を最高度に使いこなすと、どんなことができるのか。中国の武術はその可能性を最大限に引き出した実例だと思う。

 中国の武術はどんな境地にたどりついたのか、納得のいく答えが知りたかったし、自分でもそれを練習してみたかった。運良く?武術雑誌の編集者になった私は、自分が取材したい先生に聞きたいだけ話を聞き、リクエストして技をやって見せてもらうという贅沢な経験を続けてきたわけだ。

 二年前に八卦掌に出会って、そのテーマは自分なりに解決した。求めていたものはここにある。とにかくこれを練習していこう。そう思うことができた。

 もうひとつのテーマは、20代後半から追求を始めた瞑想である。真理とは何か。生とは何か。死とは何か。

 ラマナ・マハルシの「不滅の意識」を編集する機会に恵まれ、この本を熟読できたおかげで、そうした問題にも自分なりの納得がいった。そして本應寺の佐々木品愚上人と出会ったおかげで、お念仏という真理に至る自分なりの道を見つけることができた。これも、あとはお念仏を実践していくだけである。

 というわけで、私の人生のテーマである武術と真理探究の道は、方向がバシッと決まったのである。これは自分にとって非常に大きいことである。何しろ、迷いがなくなったのだ。武術はとりあえず走圏をしていればよいし、真理はお念仏を唱え、お念仏の精神で日常を生きればよいからである。

 あとは、うまくいっているとは言い難い現実の生活を何とかすればいいだけである。なんだか順序が反対のような気もするが、自分としては心おきなく現実を生きる覚悟ができた気がするのだ。

 いい年こいて今ごろ何を言ってるんだろうと自分でも思うが、大器晩成ということで許していただくことにして、仕事をがんばろうと思うのである。