松田隆智氏、急逝

 本日7時39分、急性心筋梗塞にて、松田隆智氏が急逝された。急性の心筋梗塞だったという。22日に倒れられて緊急入院、その後一度も意識が戻ることなく、永眠されたという。

 昭和13年寅年の6月6日6時、愛知県生まれ。満75歳とまだお若いのだが、太く短くを理想とされた松田氏らしいこの世の去り方かもしれない。

 私には元気でエネルギッシュな松田氏の印象しかないので、もうあの方がこの世にいないということが、いまだにピンと来ない。

 松田隆智がいなければ、雑誌「武術」もマンガ「拳児」もなく、八極拳や陳氏太極拳大東流も現在のように広く知られることはなかった。日本の中国武術界は松田氏抜きに語れないが、中国の武術界もまた松田氏がいなければ、陳家溝をはじめ、かなり異なった姿になっていたことだろう。

 私自身もまた、氏の著作「太極拳入門」に出会わなければ、今とはまったく異なる人生を送っていたことだろう。

 松田隆智という武術界をクリエイトしてきたビッグネームがこの世を去った。やはり、一つの時代が終わったという気がしてならない。

 馬賢達師の訃報

今日、太我会の練習に行って馬賢達老師の訃報を聞いた。
昨日の17日にお亡くなりになったという。

1932年生まれ、享年81歳。

私が初めて馬師範にお目にかかったのは、1982年の西安だった。松田隆智氏率いる中国武術学習訪中団の一員としてである。西安大廈の会議室で、馬氏はいきなり立ち上がり、猛烈な翻子拳八極拳を演じてくれた。

暴風雨のような突きの連打と、猛烈きわまりない迫力の頂心肘。あれほどの爆発力はそうお目にかかれるものではなく、30年以上経過した今でも、私の脳裏にはっきりと焼き付いている。

現在の中国の現状を見るに、もうこのような武術家は現れそうにない。
清朝末期から民国時代にかけて、中国武術は最盛期を迎えた。そんな時代の武術家の面影を色濃く残していた、最後の名人とも言える方だった。

合掌。

 二年の空白

 2011年の一月いっぱいで遠藤先生の太我会を休会して以来二年間、ほとんど練習ができなかった。お寺に住み込んでの修行生活は心身ともに余裕がない上に、落ち着いて練習できる場所がないのである。

 お寺に入って半年ほどたった頃、旋風脚をやってみたことがある。うまくできない。コツを忘れたのかと思って何度かやってみて、ハタと気づいた。なんと脚力が弱って360度回転するだけのジャンプができないのである。それまでは、走圏や套路をやっているだけで、ジャンプに必要な筋肉も維持されていたのだということに気がついた。

 半年ほど前、自宅に帰ってくつろいでいると、昨年就職した長女がこういった。「お父さん、足が細くなったね! 特に足首が」。気にはしていたが、他人が見てもわかるほど衰えたか。特に足首は走圏で少しずつ筋を鍛えて作ったものなので、細くなると悲しいものがある。すねやふくらはぎ、膝回り、太もももめっきり細くなってしまった。

 「ああ、全然練習してないからなあ……」。ため息まじりにこう答えると、次女が言った。「ええっ! 何にもしないで細くなるの? いいなあ!」

 最後の「いいなあ!」の部分は、長女も同時にユニゾンで発声していた。「いいなあ!」じゃないでしょう。

 前腕も細くなったし、背中も薄くなった気がする。ウォーミングアップ程度だった木刀の素振りだが、多少は体を発達させていたようである。

 技も忘れた。この二年は走圏と二、三の技しかやらなかったので、ほとんどの技が思い出せなくなっていた。八卦掌は二路までしか思い出せず、三路以降はあやふや。通備弾腿もいい加減になっていた。鞭杆は套路どころか基本もほとんど思い出せない。劈掛拳套路はその後やっていないので、どのくらいできないかも確認していない。おそらく起式もあやふやだろう。

 太我会の練習に復帰して何度か練習に出ているうちに、少しずつ体が思い出してくれた。お寺でも何回か練習してみたが、一回練習するごとに体の中から動きが復活してくる感じがあって、おもしろい。

 これからも、練習する時間は増えないだろう。土日は法事があってお寺は休むことはできないから、通備拳の講習に出ることもままならない。そうした制限の中でやるしかないのだが、それも運命だ。お寺の修行、生活で得るものもまた、多いのだから。

 というわけで更新もなかなかできませんが、これからもよろしくお願いします。

 二年ぶり

 二月上旬に本應寺の出家道場を満行したのを機会に武術の練習を再開したいと思い、三月から遠藤靖彦先生の太我会への復帰をお願いした。快諾していただいて教室に行ったのだが、メンバーは以前のまま。みんなが復帰を喜んでくれたのが、嬉しかった。


 この二年間、お寺の生活が精一杯でほとんど練習ができず、通備弾腿も鞭杆も八卦掌も全然練習しなかったので、すぐにはできない状態である。やっていたのは走圏と、単劈手、その他少々という感じか。


 これからもどれだけ武術の練習に時間やエネルギーを割けるか非常に不安だが、やれるだけやっていきたいと思う。また、この二年間に気づいたことも少しずつ書いていければと思います。

 10ヶ月ぶりの外練習

 今お世話になっているお寺は月曜日が休みなので、昨夜から自宅に戻っている。仕事の締め切りなので今朝までに原稿を仕上げなければならなかったが、疲れていて二時頃には就寝。

 今朝は七時半に起きて仕事を始めたが、どうにもはかどらない。そこで、近所で練習する事にした。寒くなっては来たが、十時過ぎともなると太陽も昇って暖かい。柔らかな陽射しを浴びながら、まず木刀の素振りを少々。

 お寺でも素振りをしようと通販で木刀を一本買ってはみたが、振りにくくて続かなかった。白樫製で、ものは悪くないのだが、振る人の事を考えていないんじゃないかという作り。そもそも、柄の末端と鍔元で太さが違うのである。全体的に太い上に鍔元へ行くほど太くなっていて、握りにくい。また重量も640グラムと自分にとっては重め。

 今日、久しぶりに愛用の木刀を外で振ってみて、その振りやすさに驚いた。柄が細くて握りやすい。全体的に細身で軽く、片手打ちの練習にも負担が少なく、楽に振れる。この木刀での素振りは、ウォーミングアップに最適なのだということが、今さらながらよくわかった。

 私の場合、木刀の素振りはあくまでウォーミングアップとして行っていた。八卦掌を始めるまで5、6年の間、毎日500〜1000本くらい振っていた。そのおかげで、丹田の使い方に目覚めたし、左右を持ち替えながら片手打ちを練習することで手が器用になった。いろいろと効用があったのである。

 今朝は、そのあと走圏を少々。熊形、龍形と練習して気血が巡って気分もよくなったので、仕事に戻った。個人的には、短時間とはいえ練習の効果は絶大だったのだ。

 考えてみれば、自宅へ帰って外で練習するのはお寺に入ってから初めてだ。これまでは、それほど余裕がなかったのだなと、改めて実感。練習不足を実感するようになったので、これからは少しでも練習していこうと思った。遠藤先生に八卦掌を学んでよかったなあ、と改めて感じた朝だった。

 では、これから仕事します。

 勤行とタントウ功

 前回の更新から四ヶ月たってしまった。なかなかブログを書く暇もなく、忙しくしております。

 お寺の生活には慣れてきたが、やはり仕事との両立はなかなか大変である。武術の練習はさらに時間もエネルギーも足りず、なかなか取り組めていない。

 そうした生活なので少しでも生活に武術を取り入れるべく工夫しているのだが、まず、朝夕の勤行を鍛錬の一環にしようと努力している。

 私が修行している本應寺では、朝六時半〜八時半、夕の五時半〜六時半の二度、勤行が行われる。敷地続きにある栖岸院で行われる朝の勤行は、大まかにいってお経30分、念仏30分、瞑想15分、回向などで15分。そして本堂隣の観音堂で念仏を中心に30分の行われる。夕方は念仏、瞑想ともに30分ずつである。

 読経や念仏は正座、瞑想は半跏趺坐で行うのだが、このときにタントウのやり方を取り入れている。丹田で呼吸しながら、気を丹田に沈める。腎を充実させる。

 浄土宗では合掌した手は指先を45度前上方に向けるのだが、このとき肩をゆるめ、肘を脇すれすれの位置に置く。肘を脇につけてもいいのだが、そうすると楽になって鍛錬にならないので、少し離すようにしている。

 合掌した手は指をしっかり伸ばすように指導される。これを長時間続けるのはなかなか大変である。また、本来両掌はをピタリと合わせるのだが、合わせてしまうと両手で押し合ってバランスをとり、どうしても肩に力が入ってしまう。そこで私は両掌をつけるかつけないかのすれすれの位置にしておき、肩に力が入らないようにしている。

 手は龍形の時と同じような意識、あるいは大東流の合気上げの鍛錬になるような意識で身体内部を調整する。

 半跏趺坐の場合、手は膝の上に置いて印を結ぶか、両手を丹田の前に置いて法界定印を結ぶ。このときも、しっかり腰を立て、気を丹田に静め、腹式呼吸をゆっくり行う。調子のいいときは手を少し浮かせ、両腕が肩、背中でつながって一本になるように意識して体を調整する。

 こうした工夫で、勤行と武術が少しでも結びつくように工夫しているわけである。

 ただやはり足の鍛錬はどうしても不足して、スネやふくらはぎの筋肉が堕ちてきたのがわかる。代わりに、正座は40分くらいはできるようになったし、座ったときに丹田がきまるようになってきた。

 正座は自然に丹田が養われるようにできているので、日本人の生活から失われてしまったことはつくづく残念である。私の生徒に書道を長く稽古した女性がいるが、二時間以上正座して書道をしていると、自然と正しい姿勢になり、また楽に座るには中心が定まることが必要なので、自然と丹田ができてくるという。

 畳のない家が多くなったが、やはり食事くらいは畳の上に正座してとりたいものだ。これから家を建てようと考えている方は、ぜひ和室をひとつはつくってくださいね。畳はいいものですよ。

 近況報告

 2月6日以来、下高井戸にある本應寺にお世話になっている。住み込んで浄土宗の修行をしつつ、自分の仕事をさせていただいている。

 朝は六時前に起きて勤行、その後はお寺の内外の掃除。十時に朝昼を兼ねた食事をとり、その後は種々の作務。五時半から夕の勤行、それが終わると食事の準備、食事、後片付け。

 自分の仕事ができるのは、その後である。時には徹夜しなければならないときもある。基本的に文字通り「小僧」なので、何かと大変だった。

 何しろ五十歳を過ぎている。作務は肉体労働も多い。最初の三ヶ月はお寺のイベントのための建物の建築手伝いで、元大工である先輩僧侶の助手をやった。

 この人は典型的な気むずかしい職人気質の大工さんで、現場仕事の経験が全くない私は実に苦労した。

 二つしか年の違わない私が何もできないということがよく理解できないらしく、すぐに怒り出すのである。十代ならともかく、いい年をした男が基本的な大工仕事もできないのはバカに違いないと思ってしまうようだった。

 なんとかその仕事は終わり、その後は比較的平穏な生活が続いている。

 武術に関しては、生活が全く変わってしまったので、遠藤先生の教室にも通えなくなり、自分の練習もあまりできていない。唯一、毎週水曜日の夜に行っている指導だけは続ける許可をいただいた。

 お寺に入って一ヶ月、震災が起きて日本の状況も大きく変わってしまった。これからここに書く内容も以前とは変わってくるだろうが、これからも少しずつ更新していきたいと思う。