べーちゃんの旅立ち 



 昨日はべーちゃんことぢんべえ危篤の報を書いたあと、山中湖に行った。山田孝男氏の書籍についての打ち合わせで、歌手の山根麻以さん宅にお邪魔したのだった。


 富士は五合目あたりまでを覆う雪がアイスバーン状になっていて、抜けるような晴天のもと、太陽を反射して白銀に光輝いていた。


 山根さんはもともと皇族が所有していたという大きな山荘に、妹の栄子さん、弟の暁さんとともに音楽を作りながら暮らしており、まさにスピリチュアル・アーティストの道を実践されていて、私自身も大きな刺激を受けることができた。


 夕食は栄子さん心づくしのエスニック風鍋をいただいて帰宅。なんだか心が豊かになった、ぜいたくな打ち合わせだった。


 帰宅したのは日付も変わろうとしている時刻だった。べーちゃんはまだがんばっていた。この春高三になる長女は、べーちゃんをタオルにくるんで寝かせ、手のひらに載せていた。今晩は一晩中つきあうのだという。私は三時頃まで時々様子を見に行ったが、時々目を開けるほかは、静かに寝ているようだった。


 朝七時前、女房に起こされた。「べーちゃん、いっちゃったよ」。見に行くと、タオルにくるまれ、安らかな顔で、言われなければ眠っているようだった。長女は五時頃に布団に入り、片手にべーちゃん入りタオルを乗せたまま寝たのだという。そして六時半過ぎ、家族が起きるまでの間に旅立ったのだった。次女が触ったとき、まだ暖かかったという。


 べーちゃんは半年くらい前から、右後足の付け根が腫れてきた。その腫れはだんだんひどくなり、歩きづらそうになってきたので、獣医に連れて行った。「足ごと切除するしかない」と診断されたが、それで長生きできるとも思わなかったので、自然にまかせることにしたのだった。


 腫瘍は進行が速いものではなかったようだが、少しずつ大きくなり、最近では胴体に近いくらいの太さに腿が腫れ上がっていた。下腹部も腫れ、はいずるようにしか動けなくなっていた。それでも二、三日前までは食欲も旺盛で、昨日の朝もよれよれになりながらオレンジを少し食べた。


 腿の腫瘍はそのうち骨にまで達するだろう、と獣医さんは語っていた。骨どころか、内臓全体にも達していたのではないだろうか。最後は腎臓や肝臓もやられていたのではないかと思う。アゴや目の回りも黒くなってしまっていた。


 ハムスターは痛覚があってもそれがそのまま人間のような苦しみにつながるのではないそうだ。しかし、ガンが骨に達し、内臓まで冒せば痛いだろうし、苦しいだろうと思う。


 べーちゃんは一昨日の夜、少しの間だけ小さな鳴き声をあげていた。ハムスターは一匹でいるとき、まず声を出さない。だから、やはり苦痛があるのだろうと思った。だがそんな声を上げることはほとんどなく、動けなくなった最後の一日もまったく声を出さず、黙って旅立っていった。


 物言わぬ無邪気な者たち。動物だから当たり前なのだが、死への恐怖も、病気の苦しみも訴えず、そうした素振りも見せず、またなんの治療も受けず、ただ娘の手の上で最期を迎えた。この小さき者からわれわれ家族はずいぶん癒され、そして学ばせてもらった。


 老い、衰え、病み、そして死ぬ。それがわれわれ人間にも必ず待ち受けている運命だ。私もベーちゃんのように淡々とそれを受け入れ、通過していくことができるだろうか? 人間様であるはずなのだが、ネズミ並みのことができる自信はあまりないのである。