収胯と丹田

 二ヶ月も間が空いてしまったなあ。

 今年は正月早々に足を痛め、それをこじらせて三月いっぱいくらいまでろくに練習できなかった。とくに二月末に再発してからは一ヶ月間練習せずに治療に専念したため、練習の習慣までいい加減になってしまった。

 走圏に関して技術的には、相変わらず収胯の模索が続いていた。収胯、座るという点を遠藤先生に重点的に指導されるようになってから、何度も「これでいいかな?」と思えることがあったのだが、なかなかこれだという手応えに至らず、日々探求が続いている。

 収臀、収胯、提肛、坐胯、これらの要求はひとつの完成した状態をいろいろな角度から説明している。これがどういうことか、何度も先生から説明を受けて少しずつ理解できてきた。

 提肛は後ろから、収胯は前から丹田を支える・・・・・最近こうした説明を受け、具体的なやり方を示してもらった。先生は以前から何度も教えたというのだが、自分としては初めて受けた説明だった。O先輩も「なるほど!」と納得していたので、いつもとは説明のしかたが少々異なり、そのために今まで見えなかったものが見えたのだと思う。

 このときにわかったのは、提肛しても腰が前へ流れず、収胯をきちんと行なう方法。これにより、提肛しながらも股関節に折り目ができ、しかも丹田がしっかり支えられる。ただ、習って一ヶ月ほどになるがまだ身についておらず、これをやろうとすると気が上がってしまう。上鬆下緊のむずかしいところだ。

 八卦掌套路は、現在、第五掌を学んでいる。第五掌は大鵬展翅、錦鶏相斗といった八卦掌らしい技が出てくる。大鵬展翅は、掌を上に向け、両腕を広げて走圏をする。錦鶏相斗は両掌で中段を打つ技。馬維祺が趙克礼を半身不随にした技だ。

 また、趟泥歩や走圏も学んでいるが、練習不足を感じている。体を作るための熊趟、龍趟はできるだけやっているが、足の勁を練る走圏は家での中ではなかなかできないのである。しかし、そろそろ練っていく段階だと感じている。

 長拳の方も学習が進み、理解も深まってきた。八卦掌と相性がすこぶるよいので、相乗効果が感じられる。

 本来、八卦掌は他の拳術で功が成った人が学ぶものだった。尹福は羅漢拳の達人、程廷華はシュワイジャオの名人だった。その彼らが更なる武術の高みをめざして学んだのが、董海川の八卦掌だったのである。

 尹派の八卦掌は、学習内容の大部分を羅漢拳が占めている。私は以前、基本として羅漢拳を学び、走圏で功夫を練り、また招法の不足を羅漢拳で補うのだと思っていた。

 しかし最近では、最終的に尹派は羅漢拳の形をした八卦掌になってしまい、八卦掌羅漢拳の区別がなくなるのではないか、と思うようになった。私自身、長拳八卦掌の区別が曖昧になってきたからである。

 外見上でははっきり別物に見えるとは思う。しかし、意識の上では両者に大きな違いはなくなってきたのである。

 長拳といってもわれわれの練習しているものは八卦掌と似た動作が多い。ただ、ハリケーンのような勢いが特徴なので、ここでは仮に破裏拳と呼ぶことにしておこう。

 破裏拳のような外家拳と、内家拳と呼ばれる八卦掌。両方を学んでみて、内家拳とはなんなのか、自分なりに理解が深まってきた。この問題については、いずれまた考えてみたい。