体調回復

 思えば、今年は体調不良に悩まされて武術の練習も停滞がちの一年だった。10月の半ばくらいから回復してきて、走圏をやっても以前の感覚がよみがえるようになってきた。よみがえってきて初めて、同じように練習してもずいぶん内容が違っていたんだな、ということに気づくことができた。

 体調が悪かったり、やる気がしなくても、とりあえず五分でも練習のまねごとだけはするように心がけていたが、そのおかげか練習が軌道に乗ってくるといろいろな気づきがあった。

 この春頃から遠藤先生に、鼠頸部に折り目ができるような姿勢を指導されてきたが、最近ようやくその意味が実感できるようになってきた。この注意を守ると、今までの姿勢に比べてずいぶん腰を引いた感じがする。お尻が後ろに出過ぎているような感じにとらわれるが、第三者が見るとそうは見えないようだ。

 この姿勢だと、軸足に体重がしっかり乗るのがわかる。何度も直接修正を受けた膝の使い方に気をつけて鼠頸部の折り目をしっかり取るように姿勢を作ると、「足に勁が通る」感覚が理解できるようになってきた。

 肩、胸の力を抜き、ゆるめて、気血を丹田に落とす。その重さを地面に伝えるのが足なのだが、教えられた通りに股関節や膝を調整すると、足の裏全面にしっかりとした接地感があり、しかも膝から下の下腿部全体に充実感がある。

 この下腿の充実感を説明するのはむずかしい。何かで内側からいっぱいになったような、独特の感覚になるのだ。例えようにも他で感じたことがないので、例えようがない。

 この姿勢は、太極拳などでいう「高坐式」という名称がふさわしい気がする。高めの姿勢で、あたかも後ろ足に腰掛けているような感覚があるからだ。

 ただ、この姿勢は腰に気血を集中するのはむずかしい。これまで遠藤先生がこの姿勢を無理に取らせなかったのは、腰を充実させ、強化するという意図があったからである。しかし私の場合五年も腰に集中する練習をしたので、高坐式でも腰を充実させることができるようになった。このような長期的視点をもった段階的な指導が、遠藤先生の特徴だと思う。

 この歩き方をしていると、肩や脇の下の筋に痛いような感覚があり、また股関節の筋が弱くて頼りないのがよくわかる。私が入門してすぐの頃、遠藤先生が「私は今、自分の股関節が弱いと感じているので、その部分を重点的に鍛えています」と話されたことがあった。今思えば、先生はちょうどそういう段階にあったのだと思う。もとより先生とは才能も練習時間も比べものにならないが、こうした練功経験に基づいた指導は実に効果的だと思う。

 今年は体調不良のため、走圏の練習が滞りがちだった。先日膝を痛めたのも、走圏でじっくり鍛えることが不足しているのに長拳の講習会や復習会では以前と同じように動こうとしたからだと思う。体調不良、練習不足、故障、練習不足、体調不良という悪循環に陥っていた。

 それを反省して、最近は練習のしかたを少し変更した。これまでは鍛えようという意識が先に立って、走圏の養生面をおろそかにしていたのだ。

 腎を充実することはしてきたが、脾胃を強くする方面はおろそかだった。鍛練の意識が強すぎると脾胃の養生がおろそかになるので、最近はまず脾胃に気血を十分に行き渡らせるように意識して歩き、調子が出てきたら少しずつ鍛練の要素を強めるようにしている。その方が結果的にリラックスして沈んだいい走圏ができている気がする。

 龍趟も最近やっと体が慣れてきて、中心に構えを向けて歩けるようになってきた。先日は、丹田あたりに富士山の頂上があり、足のあたりに裾野が広がっているような、しっかり沈んで安定した感覚を味わうことができた。

 まだ足がふらつくので、これからは勁を通した足をさらに強化する意識も持っていきたい。こうした走圏による足の強化は、単に低い姿勢で馬歩を練習するのとはまた違った鍛え方ができる。遠藤先生は、足の筋肉が繊維の束のように感じるという。そのくらい鍛えたいものだと思っている。