丹田と収胯

 書き留めておきたいことはたくさんあるのだが、二年ぶりに銀座の事務所を引き払って自宅作業に戻ったため、何かと忙しかった。しかも環境が変わって仕事のペースがつかめない。考えもまとまらないのである。


 前回も紹介した「達人への道 中国武術の秘技 2」ベースボールマガジン社)は好評発売中。遠藤先生が10ページも取り上げられている。太我会の今後の方向性も示されているし、内家拳外家拳という区別を通じて武術に対する考え方も披露されされている。


 その他、意拳や戴氏心意拳の記事も例によって詳しく、興味深かった。中国武術ファンはぜひ読んでいただきたい。


 今年から太我会で始まった孫詩先生の八卦掌であるが、前回の日記で黄柏年の八卦掌ではないかと書いたところ、O先輩より「姜容樵の本に出ている套路とそっくりである」との指摘をいただいた。姜容樵の本を確認できていないのだが、遠藤先生も同意見だったので、おそらく間違いのないところだろう。技術内容や掌型を見ていると、程派ではないかと思われる。


 ということは龍形八卦掌と呼ぶのもふさわしくないので、裴式八卦掌とでも呼ぶべきか。


 教室では、趟泥歩、走圏に加えて単換掌、双換掌を学んだ。単換掌は走圏からの最初の扣歩で、いきなり打つ。走圏していた方向へ、踏み込んで扣歩しながら手刀をまっすぐ打ち出し、ふり返って擺歩しながらまた打つ。遠藤先生によると、とにかく打撃が明確に表れた八卦掌であるとのこと。


 裴式八卦掌の走圏は、尹馬派に比べて早く、流れるように歩くことが求められる。一歩一歩止まっていてはいけない。足の勁を練りながらもスムースに歩かなければいけないので、なかなか難しい。歩法だけでも蹬勁や磨脛、踢門坎(足の蹴り出し)、趟勁(前足を滑るように踏み出す)を行い、調和させなければならない。さらに上体にも気を配り、腰を沈めて歩くのは容易なことではないのだ。


 基本の走圏をある程度こなせるようになったら、次のステップとしてこうした走圏に移行していくのは自然であるし、必要なことであると思う。


 ただ、遠藤先生の話では裴先生の伝えたやり方はかなり高級で、基本の走圏、長拳系の武術などをある程度までこなせるようになってないと理解できないとのことだった。確かに動きが柔らかいだけに、体を作った上で発勁もできるようになっていなければ、本質をつかむのは困難だと思う。


 しかし、裴式八卦掌の走圏を練ってみて、気づきもたくさんあった。もっとも大きな気づきは、収胯と丹田の関係だろうか。先生は以前から「走圏を練っているとき、丹田で地面を踏んでいる感覚がある」と語っていた。何となくその感覚が理解できるようになってきた気がする。


 そもそも収胯とは、丹田から力が出せないと理解できないのではないか、と思う。丹田と脚部の力をいかに連関、統一し、効率的に力を運用するか。丹田や脊椎の力を、いかに脚部の力と連動させるか。収胯とは、そのための要訣であるということが理解できてきた。外見上の注意をいかに守っても、この点はなかなか理解できないのである。


 では、丹田から力を出すとはどういうことか。機会があったら、考察してみたいと思う。