功夫と功力 その2



 功力をいかに高めるか。馬貴派八卦掌の走圏は、主眼がそこに置かれている。

 馬貴派では、功力イコール筋の強さ、気血の充実度である。筋(すじ)に気血。これが馬貴派の理解を困難にしているのだ。

 前にも書いたが筋とは解剖学的な概念ではなく、経絡のような、ある種のシステムを表す用語だと思う。「筋肉ではなく筋を鍛える」という言葉を聞いて、「では、筋肉ではなく腱や靱帯を鍛えるのか」と理解してしまってはあまりにも浅薄だ。中国武術、中国文化はそんなに浅いものではなかったのだ。

 筋(すじ)とは、筋道の筋だと思う。力の筋道を鍛え、発達させるのである。力の筋道には腱もあり、靱帯もあり、大きな筋肉も小さな筋肉もあるだろう。それらを武術で使うやり方そのままで鍛え、発達させる。そのことを「筋を鍛える」と称しているのではないかと思う。

 武術で必要なのは個々の筋肉の強さだけでなく、必要な筋肉が必要なだけ働き、ゆるむべきところはきちんとゆるんでいることである。外功やウエイトトレーニングの場合、この点が難しいところである。

 また「気血」という点でも、外功や西洋式トレーニングでは無視されがちなところだ。馬貴派八卦掌の場合、走圏で気血を養成し、流通させて筋の発達や掌法の動作を促す。私の場合はまだ気血の実感は少ないが、先生方を見ていると気血は単なる感覚ではなく、実体を伴ったある種の物質のようである。明らかに存在し、健康を増進し、武術としての実力を高める上で大きな要素を占めているのだ。

 気血に関しては、寡聞にして馬貴派以外では見たことも聞いたこともない。これは単なる気ではなく、「気血」である。丹田だけでなく、しだいに全身に満ちていき、筋骨を支える役割をする。李先生の手首はまん丸でしかも硬いが、それも気血が満ちているからなのだ。

 このように、馬貴派では従来あまり知られていなかった方法によって、筋と気血を発達させる。それは走圏で腎や丹田を養うことによって行うのだが、十年ほども走圏を練り続けると「結丹」という境地に至るという。

 要するに内丹の功が完成するわけだが、このあたりに関しては李先生もあまり語りたがらない。八卦門の軽功も内丹の完成と関係があるのかもしれない。

 八卦掌というと柔軟で優美なイメージあるが、馬貴派の場合、こうした鍛練を重ねて重厚な肉体を作り上げ、いかなる相手も一撃で倒せる功夫を養成するように練功体系ができている。それは決して固い功夫、死んだ功夫ではなく、柔らかくも固くもなり、全身に気血が行き渡って変化が自在な活きた功夫である。

 「武術では功力が重要である」などというと固くて力任せなイメージを持たれがちだが、そうではない。走圏で筋と気血を養い、掌法はあくまで蛮力に頼らず行う。力は相手とぶつからないようにかわし、崩して戦うのが原則だ。しかしぶつかり合ったり、まちがって打たれてもダメージを受けないだけの体を走圏だけで作ってしまうところが馬貴派の大きな特徴だと思う。

 自分の場合、そこまで行けるかどうかは疑問だが、健康法としても効果は大きいし、練習していて楽しいので、なんとかしがみついていくつもりである。