生きる喜び 

 朝日新聞の夕刊一面で、「ビートルズの時代」という企画が連載されていた。それは三週間続いた。連載9回目で、湯川れい子のこんなコメントが載っていた。

「彼らが歌ったのは、楽しく暮らそう、仲良くしようということと、生きる喜び」

 確かに、ビートルズの音楽の魅力を一言で言うと「生きる喜び」かもしれない。生きる喜びをビートに乗せて表現することに成功したんだと思う。

 Beatlesと名乗るだけあって、彼らのBeatには特別なものがあった。ジョンのリズムギターには、シャーマニックに観客を「持って行く」力があった。リンゴのドラムもバンドのノリを着実に支え、キープし、増幅する力があった。そこへウラ乗りのジョージのギター、ハイセンスなポールのベースが融合し、史上最強のグルーヴが生まれたんだと思う。

 60年代前半、ビートルズのコンサートでは観客が熱狂し、失神者が続出した。普通のホールでは観客が収容できず、スタジアムをコンサートに使用したのは彼らが最初だった。日本武道館を最初に使ったミュージシャンも彼らだった。日本公演では、失神どころか失禁した女の子も続出したという。

 音楽によって「生きる喜び」を表現し、若者のエネルギーを解き放ったビートルズ。それは失神、失禁するほどすごかったのだ。

 生きる喜び。それは言葉ではなくて感じるものだ。現代の日本は生きる喜びを感じにくくなっている。だが、ビートルズを聞くことで、それを思い出し、奮い立たせることができる。

 当時の日本は高度成長期にあり、私自身は70年代、中高生というその後の自分を決定づける時期に彼らの音楽を浴びるように、貪るように聞いた。

 私はミュージシャンではないが、雑誌を作り、文章を書くという仕事においても、当時吸収した「生きる喜び」を表現しようとしてきたんじゃないかと思う。

 読んで元気が出てくるものは、当然喜びを持って作られたものだ。喜びを持って仕事をすること。それが今年の、いや一生の私のテーマです。