死ねるときが来たら

めっきりと冷え込んできたな。

ウチは東京都はいえ、郊外なので気温が低い。もうコタツやストーブを出しました。

また冬が来て、年末が来て、正月が来る。
時間がたつということがいまだに不思議で、恐ろしい気がします。

テレ朝のニュースステーションに「最後の晩餐」という企画がありました。各界有名人に、「人生最後の食事に、何を食べたいか」を語ってもらうのです。

あるとき樹木希林がゲストでした。彼女はその質問をされると、「そうね、死ねるときが来たら〜」ということばから話をはじめました。

久米宏も「死ねるときが来たら」という言葉に彼女の死生観を感じ、驚いていました。

彼女の言葉を聞いたとき、それは決して後ろ向きな人生観だとは思いませんでした。生まれた以上、死ぬことは決まっています。そのことを織り込み済みで生きる。流行りの言葉で言えば、「想定内」です。

仏教国である日本では、つい最近までこうした死生観は珍しいものではありませんでした。ダライ・ラマ猊下も、死について考えることは大いに有益で必要なことである、とおっしゃています。

死ねるときが来るまで、あと何度年末年始を経験するのでしょう。そのときが来るまで、精一杯あがきたいと思います。