この二、三ヶ月、八卦の練習でいくつか気づきがあった。まず、「沈める」ということ。沈めることは非常に重要なのだが、一般的には単なるスローガンとなってしまっているようだ。しかし、これは具体的な技術だったのだ。

 沈め方を先生から具体的に示してもらい、はたと気づくことがあった。この沈め方は教室に入門以来何度か見せてもらっていたのだが、わからなかったのである。それが一年を過ぎた頃、突然理解できた。

 そして走圏が実は技の練習をしているのだ、ということが具体的になってきた。足の運び方が実は技と同じなのだ、という気づきがあった。そんなことは当たり前で知識としては知っていたのだが、理解が深まったのだと思う。

 以前、大成拳の于永年先生を取材したときにこのようなことをおっしゃていた。「地面を踏むことが重要なんだよ。私はこのことがわかるまで、40年かかった」。

 それを聞いたとき、何でそんなことに40年もかかったんだろう、と疑問に思った。地面を踏む力は[足登](とう)といって、いろいろな門派で重要視されているし、私自身もわかっているつもりでいたのだ。

 しかし、于永年先生が40年かかってどのような理解を得たのか、それは簡単には推し量れないことなのだということが今回ようやくわかったのだ。

 「沈める」ことや「走圏は八卦掌の内容をすべて含んでいる」といったことは、知識として、あるいは短い経験の中から、ある程度の理解はある。しかし、理解にもさらに何段階も奥があって、数十年練った人と一、二年練っただけの人では、自ずから理解の深さが違うのだ、という当たり前のことがようやくわかってきたのだ。

 この世界、本当に奥が深い。わかったような気になるのがいちばん怖い。「天外有天」、「学無止境」。これを忘れてはいけないのである。