先週は何かどたばたしているうちに過ぎてしまった。日記も何回か書きかけたが、書き上げないままになってしまっていた。

 友人の葬式には行けなかった。25日に亡くなり、26日には葬式だった。前日に未亡人より連絡をいただいたが、帰宅したのが深夜。留守電には時間も場所も録音されておらず、ただ今晩がお通夜、明日がお葬式、とだけことばが残されていた。前日に私に連絡をくれたことも忘れたらしく、もう一度ていねいに訃報を知らせてくれていた。

 翌朝早く連絡してみたが、すぐに出発しても間に合わないことがわかり、断念した。かわりに神戸に住む妹が行ってくれた。妹は会葬御礼を送ってくれたが、薄墨で印刷された挨拶文を読んで、ようやく友人の死の実感が湧いてきた。元気な姿しか思い浮かばないが、彼はもうこの世にはいないのだ。

 思えば、面白い奴だった。小学校の遠足では、なぜかバスの窓から靴を落としてしまい、先生にサンダルを買ってもらって歩いた。

 同じく小学校の卒業間際、講堂の屋根裏に忍び込み、足を踏み外して天井を突き破った。必死で梁にしがみつき、クラスメートに引き上げてもらった。階段を駆け下りたところを先生に見つかり、こっぴどく叱られ、学校中の笑いものになってしまった。

 中学時代、帰りに水族館の周りの池が凍っていた。彼は氷の上をカバンを滑らせていた。もう一人の悪友・Tが大きな石を投げ入れ、氷が割れてカバンは沈んでしまった。引き上げて乾かしたが、教科書は全部ボコボコになった。

 その悪友Tが、下校途中で腹痛を起こして公衆便所に入った。彼は口いっぱいにためた大量の唾を便所の窓から吹きかけた。Tは尻を拭いた紙を振りかざして追いかけてきた。この二人は、こうしたむちゃくちゃないたずらをお互いゲラゲラ笑いながら応酬していた。そのどはずれたおもしろさを、私は間近に見て喜んでいた。

 Tは大学を「面白くない」といって退学し、消防士になった。私はその後会っていないが、昔のようなふざけた部分はなくなり、「まとも」になってしまったという。友人は何となく寂しそうだった。

 慶應を出て一流サラリーマンの道を歩んでいた彼だったが、私から見れば中学生の頃と変わっていなかった。ふざけてばかりいて、とてもエリートとは思えない男だった。

 考えてみれば、私自身も当時のまま今でも武術にこだわっている。中学の同級生のうち、つきあいがあるのは彼だけだったが、そうした大人になりきれない部分でつながっていたのかも知れない。何年も会っていなくても、全く気を遣わず、中学生に戻れる仲だった。

 それにしても、46歳は早すぎる死だ。自宅のフトンの中で眠りながらいってしまった本人はともかく、その夫を発見した奥さんや、残された高校生、中学生の二人の娘はたまらんよな。