形意拳が槍術から発展したという伝説には、形意拳の技術を知るにつけいくつか疑問が出てくる。

 一番の疑問は、腰のひねりである。槍を突き出すには腰をひねらなければならないが、伝統的な形意拳は腰の横回転ではなく、縦回転で技を行う。その点は源流の戴氏心意拳も同じで、丹田を縦回転させることで勁を発する。太極拳の双按と同じような身法で、片手打ちの場合も同じ打ち方をするのである。

 この身法はどうも槍から出たのではないように思う。前回も書いたが、戴氏には短い棒を使う棍術が伝わっていて、けっこう重要視されているようだ。棍の中程を、両手の甲を上に向けて持つ。陰把というのだろうか。この持ち方で棍の両端を打ち出して戦うわけである。桿の末端を持って長く使う槍術とは対照的である。

 この棍術の戦い方、身法がそのまま拳術になる点が戴氏心意の特徴だ。陰把ではないが、沖縄の棍術詠春拳を始めとする南拳棍術にも似たような技法を特徴とするものが多く、歴史的な視点からも興味深いものがある。戴氏心意は、他の北派武術よりも南拳との共通点が多いのである。

 八極拳の場合、大槍と拳術の技法に重なる部分が多いが、形意拳の場合はどうもそんな感じがしない。しかも、戴氏にも河南派にも存在しない三体式はどこから来たのか。

 というわけで、形意拳は謎が多いのである。

追記:三体式の発生について、今のところ考えられる可能性。
1. 郭維漢(山西祁県)の系統で独自に生まれた。
2. 李洛能(河北深県)がもともと通背拳を学んでおり、戴氏心意拳と融合して三体式が生まれた。それが山西へ影響を与えた。

 2.に関してはまったく根拠がなく、河北でポピュラーな通背拳の基本姿勢との共通点から思いついたものである。