香港について、補足。中国に関する私の感情は、なかなか複雑である。なにしろ中国を題材にした雑誌をずっと作ってきたわけだし、女房も中国人だ。今でも仕事で中国へ行くわけだし、中国武術の練習はずっと続けていく。そのせいか黙っていると中国人に中国語で話しかけられることもあるくらいだ。

 というわけで、中国と中国人に対しては単純な愛憎を超えてもはや抜き差しならない腐れ縁となってしまっているのである。その中国人に対して、新しい発見があった、という報告が前回の文だったのだ。

 中国人とくに大陸の中国人民たちを見ていると、その野性味に驚かされることがある。悪く言うと、「えっ、それじゃケモノじゃん」と思うこともあるのである。その一面が出たのが先日のサッカー・アジアカップの騒ぎだと思う。要するに「しつけがなってない」のだ。

 逆に言うと、日本人はしつけが行き届きすぎているのかも知れない。その源をたどると、徳川三百年の間に、下々までしつけられてしまったのだと思う。豊臣秀吉織田信長の頃は、日本人は江戸以前とはかなり異なる国民性を持っていたようだ。そういう意味で言えば、中国には江戸以前の人たちが大挙して残っているようなものかもしれない。

 文化大革命はほんの20年ほど前のことだが、まるで幕末のような状況だったわけで、さらに国共内戦が終了する1949年までは食うか食われるかの戦国時代だったのだ。そうした歴史もあって、同じような外見だが中身は日本人とかなり違うのではないか、と最近考えるようになった。武術が生々しく生き残っているのも、そういう歴史が大いに関係していると思うのである。

 中国は確かにビックリするような面、受け入れがたい面がたくさんある。これからもそういう面が出てくるだろう。しかし、私にとっては好むと好まざるにかかわらず一生つきあっていかなければならない相手なのだ。そして日本人にとっても、実は無視できない存在である。経済的な存在感はますます重みを増すだろうし、何といっても隣国である。

 はなはだディープな国ではあるが、それだけに興味も尽きることはない。全部を知り尽くすこともかなわない大きな国ですが、じっくりと行きましょう。