香港に行って来た。観光ではなく、取材でもなく、仕事の話をするだけの駆け足の旅だった。

 香港へは初めて行った。中国、台湾ともに10回以上行っているのだが、なぜか香港は初めてだった。

 私の見た香港は、高層アパートが息苦しいほどに林立する、超過密都市だった。30〜40階の高層アパートが隙間もなく建ち並び、地上を歩いていても回りを常に高い壁に囲まれている。ものすごい圧迫感である。

 高層アパートが何棟も平行して並んでいる。そのすぐ裏にもまた同じように何棟も並ぶ。そのどれもが都庁くらいの高さがあるのだ。北側のほとんどの部屋には一年中陽があたらないだろうし、視界も非常に狭いものだと思うのだが。

 印刷会社が100社以上も入っている巨大ビルにもお邪魔した。数台の印刷機を持つ工場からデザイン事務所、オフィスなどが同じフロアに雑居している。ほとんどの部屋、工場には窓がない。昼夜もわからず、新鮮な空気が入ってくることもない。密閉されたコンクリートの壁の中では常にインクの匂いが漂い、印刷機の騒音がこだましている。

 初めて中国に行ってから22年たつが、今回初めて実感したことがある。それは中国人の貧しさである。

 確かに中国でも地方へ行くと圧倒的に貧しい。年収が1万円ほどという世帯が無数にあるのだ。しかし、今回ほど「貧しさという苦痛」を感じたことはなかった。

 香港の悲しいところはそこが都市であり、自然がなく、そして限りなく人口密度が高いことだ。モンコックという地域には1平方kmに16万人が住んでいるという。そうした限りない過密状態と、高層アパートに取り囲まれた閉塞感を実感したとき、「貧しい」ことの恐ろしさがひしひしと感じられたのだ。

 香港にも大陸側には自然が残っているのだが、中国人というのは都市に自然を残さず、小さな公園を多く作ることもしない。公園はどかんと大きなのを少数作るだけ。それは大陸や台湾も同じで、ひたすら住宅を詰め込んでいくのである。息抜きをする空間がないのだ。香港の場合は詰め込む住宅が30階以上の高層アパートになるわけで、それが圧迫感をいやが上にも高めている。

 自分の場合は、あの圧迫感が耐えられそうにない。だから貧しさを感じてしまったのだ。実際には人は慣れるものだろうが、個人的には衝撃的でした。